

platform
逆光なので黒っぽく見えるけれども、白い蜘蛛。 ふと窓の方を向いたら、幡野広志さんの写真に広がる青色の世界があるように思われたので、 携帯のカメラを構えたらば、写り込んだ白い蜘蛛。 するするすると上から降りてきて、また天井に戻って行った。 なぜか、一昨年なくなった祖母を思い出す。 誰に相談したり話すわけでもなく、けじめをつけるべきことを粛々と整理しているひと月で、 色々とこたえることもある。 そういうことを話すのは得意ではないというか、 誰より私が自分を信じないといけないような局面で、 ひとの理解を得ようとすると、おかしなことになるので、 自分のことは、黙って決めて、 少し準備に時間がかかることを進めている時は、静かにしている。 それが強さだとは思わないけれども、知恵であるとは思っている。 その私をわかってくれるのは、おばあちゃんだろうなあ、と思う。 心のできた人だった。 ケアサービスを受けていたセンターでも人気者だった。 なぜか、大きな相談を受けていて、 決断を任せられることが続いていて、 何について、どこまで責任を持てるかということについて考え


transition
マグリットのこの家に住みたいと思ううちは、 自分もなかなかに波乱万丈な人生を送っているのだろうなあ、と思う。 暗闇に灯る室内の灯りは、安心の象徴のような気がする。 日本にいると、高層住宅に灯る明かりを電車から眺めるのが好き。 一昨年、去年と、人の話を聞くことがとても増えた。 でも、今年はお休みします。 カウンセリングは仕事にしていないから、基本的にボランティアです。 だから、紹介に限っているけれど、飛行機に乗ってウィーンに来る人もいて、 世の中の流れを感じていた。 すごく苦しい話の後ろには、希望が光っている。 変えたいんだよね、現実を、居場所を、環境を。 でも、気力や体力が足りなくて、あるいは繰り返す経験のなかで失ってしまい、 愚痴と悪口に流れてしまう。 そういうこともよくわかる。 それも一つのエネルギーの流し方だから。 でも、そうすると現実との軋轢はひどくなるばかりで、フラストレーションは増していく。 だから、ある時が来たら、現実を変えていかないといけない。 そういう時のサポートが必要なんだよね。 コンマリさんは片付けを手伝うけれど、 手放すこ


the next stage
Thonetの椅子。 私が考えごとをする時に座る椅子です。 今日は、明るい良い風が吹いています。 校正続きで、昨日は一日ダウンしてしまったので、 今日から安倍晴明物語のドイツ語訳の校正に入ります。 表紙はもう決まっています。 まずは、Klappentextという、本の裏に紹介する文章を作ります。 来週からは別の本の校正に入ります。 これで4冊。 3月にまたがってしまうけれど、2月に掲げたことは、ほぼ有言実行できました。 昨日は、新たに本を書くお話をいただき(伝記)、ひとまず史料をお預かりしました。 本にするなら、やはりドイツ語かな。 完了して、次へ。 一緒に働きたい人は世界のいろんなところにいる。 その人たちからも一緒に働きたいと思ってもらえる自分であるよう、 人間としてしっかりしよう。 力をつけよう。 技を磨こう。 その上で、繋がっていきましょう。 仲間というのは、そういうもの。


Take your chance!
深夜に荷物を開封して、見つけたシャネルのステッカー。 Take your chance! ナイキも入れて、 It's now your turn. Take your chance, and just do it. 「さあ、本番だ。全力でやってみよう」 3月からのテーマ。


holed space
社会との接点としての使い道が拓かれなければ、 持っていることが苦行に思われる才能もあるのではないかな。 その才能のために、ひととしてこうありたいと決めている境界線を破ってしまう経験が増えるから、葛藤が生まれたり、自信を失ったり、自己嫌悪に苛まれたり、身体を壊したりもする。 彼らの生きにくさは、自己肯定を推奨するだけでは足りない。 根っこは、心の問題ではないから。 どうしても、その才能の使い道が開かれる必要がある。 既存の職業で生かされる才能ではない場合、生かす道を切り拓かなければならない。 そうしないと、自分でも把握しきれないブラックホールを抱えて、 居場所が見つからないまま、社会に合わせることに消耗して生きるばかりで、 ずっと苦しい人生を送ることになる。 これは、本人にとっては本当にしんどいものだと思う。 このことについて、ずっと考えている。


February
2月も終わり。 パンツァー先生はキーンさんと二度お仕事をご一緒したことがあるそうです。 人間的にも素晴らしい方だったそうです。 お会いしてみたかった。 まだ命の続くものは、しっかり生きるのみ。


Limit the unlimited in your own style
Tom Fordの眼鏡。 Excelsiorのアコーディオン。 ドナルド・キーンさんのご冥福をお祈りいたします。 7年前にある仕事でお目にかかるお話を一度頂いたのだけれども、残念ながらそれは叶わなかった。 今月の21日に老人ホームを訪れる機会があって、私の前で食事をとられていた方がキーンさんにしか見えなくて、不思議に思っていた。 大きな人がまた一人、地球を去られたな。 時間は知覚できないけれど、肉体の期限というものがあるから、 私というのは、どうにもこうにも有限なのだ。 意識が拡大しようが、瞬時に大きなことを理解しようが、それは変わらない。 未来のことといわず、本当は誰でも、自分の全体のことは把握しているのだ。 でも、一つずつやっていく必要があるから、開示されていないだけ。 脳の働きなのか、何なのかはわからないけれども、 私たちにできることは、自分の物語を信じて、点を打っていくことだけ。 とかくこの世は具体的である必要がある。 ある言語を使いたければ、学ばなければいけないし、 ある場所に住みたければ、条件を埋める必要がある。 意識が現実を作るけれ