

31. März 2020 (2)
明日から4月。 私にとって日本に生まれたこと、日本人であることはどういう意味を持つのだろうなあ、と考えている。 ドイツで日本学を専攻した程度には、日本は私には遠く不思議な世界。 こちらに暮らしていても、日本人だからという理由だけで友人になることも、親しくなることもない。 避けているわけではない。 ただ、例えば、親しみを込めたものであっても、ヨーロッパの文化圏の男性に熱烈にハグされたり、手にキスされたり、アジアの文化圏の女性に腕を絡められたり、組まれたりすることが苦手であるほどには、「日本人だから」という理由だけで、距離を縮められたり、何かの文化的、社会的パッケージを受け入れるように促されることが苦手。 日本人であること、女性であること、年齢、職業、容姿、服装の好みなどの属性への他者からの判断と、自分の中でのそれらの属性の優先順位のようなものや、価値の優先順位のずれ。 そのずれを自分の優先順位を並び替えることで適応してきた疲れのようなもの。 これは、日本とヨーロッパのどちらでも抱えてきたもの。 自分は、どちらにも、どこにも属していない、根っこがない


31. März 2020
昨日は、ロンドンに暮らす友人と意見交換を。 友人は、 it has felt as though we are in the midst of a dystopian fiction that is only too painfully real. と表現していた。 私は、宇宙で宇宙船が故障して、必要な暖かさを確保できずに、だんだんと冷え込んできているようなイメージを持っている。 経済を回すことによる熱、人との交流による温もり。 当たり前にあった暖かさのようなもの。 それらを再び回復する時に、私たちは新しいスタートをきれるかな。 あらゆる叡智を結集させて、前の世界にあった問題点が改善された世界を創造できるのかしら。 時折、外に散歩に出ると、空気が綺麗になっていることは明らかにわかる。 甘やか。 友人からのメールは、 I very much look forward to greeting you with a huge smile and hug, next time we meet! と締めくくられていた。 次に会える日。 写真は、11月にイギ


good news
嬉しいニュースを見つけたのでシェア。 ワクチンについて: https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57430820Q0A330C2000000/ 日本では武田製薬さんも頑張って下さっているようです。 抗体検査について: https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-immune-test-idJPKBN21E0F3 ありがたいですね。


April 2020
写真は、以前のもの。 芍薬の季節には、もっと世界は疲れているかもしれないけれども。 新しい出発は、多くの犠牲を払ったあとのこと。 もしも、元気で生きられたなら、未来を選びましょう。 30日はブログやメールをお休みします。 このところずっと心に思い浮かべていたことに形を与えていく日。 今は、特殊な時間ではあるのだけれども、その先を見据えて淡々と進むのみ。 時間を無為に過ごす理由はない。 元気でいましょう。


Vielen Dank
半分私信になってしまうけれども。 吉祥寺の小ざささんの羊羹を羊羹に合うということで一緒に頂いた緑茶とともにいただきました。 私の知らない羊羹でした。 ちょっと驚きました。 まるで水羊羹のような軽さとみずみずしさで、芯を捉えたあずきの味が上品な甘さとともに届けられるような感じ。 何の雑味も余計な甘みも重みもない。 羊羹の概念が覆ってしまいました。 こんな経験を一度してしまうと、他の羊羹では満足できなくなってしまうような感じ。 あああああ。 一人で開封してしまった。 この感動は誰かと分かち合いたかった。 日本にいる間に実家でこの一本は開封すれば良かった。 二本ともこちらに持ってきてしまいました。 あともう一本は大事に取っておきます。 6月までに外出制限が解かれていますように。 特別に美味しいものが好きな誰かと一緒に、この感動を分かち合いたい。 咲ちゃん、ありがとう。 本当に美味しいです。 頂いたお茶も、口に含んだ後に苦味や甘みに揺れるような味ではなく、一本筋が通ったようにまっすぐな味のするお茶です。 本当に感動しました。 浩ちゃんにも、くれぐれも宜し


29. März 2020 (2)
毎年、遅くとも今頃には衣替えをするのだけれども、今年はセーターやコートをクリーニングに出せていない。 そもそも、この状況とは関係なく、三寒四温という感じで、まだまだセーターもコートも手放せないのだけれど。 出かける予定もないけれど、気持ちだけでも春支度をしようかな、ということで、一枚で着るブラウスやシャツをクローゼットから出してきて、いつでも着られるようにアイロンをかける。 こういうことをしていると、やっぱり、外出したくなりますね。 今は、リヨンの織物装飾芸術博物館(Musées des Tissus et des Arts Décoratifs de Lyon)を再訪したい気持ちでいっぱい。 マリー・アントワネットのお部屋で使われていたカーテンのその手仕事の美しさに圧倒されて、閉館時間まで眺めていた。 再び、そこから、アルルやカマルグの方に出るような旅をしたい。 なぜか、白いレースのものばかりに心が奪われて、普段だったら買いそうにないものまでオンラインショップで買い求めそうになるので、自宅にある素敵なものを眺めて、ひとまず心を落ち着ける。 綺麗


29. März 2020
今日から夏時間。 マリアージュフレールのお茶、ヴェールプロヴァンス。 緑茶ベースで、ラベンダーや薔薇の花びらの他にも様々なハーブが配合されている麗しい香りのお茶。 愛飲するようになって10年以上が経つけれども、このお茶に似ているお茶に出会ったことがない。 マリアージュフレールには、アールグレーだけでも20種類ぐらいあるけれども、そのどれもが個性が際立っていて、作品のよう。 マリー・アントワネットが愛したブルーエの花びらが配合されたアールグレー・フレンチブルーというお茶も好き。 オーストリアのデンメアがホテル・ザッハーのために特別に配合している紅茶もアールグレー。 アールグレーには、そのお茶屋さんの個性が一番現れるのかな、と思う。 穏やかに夜が明けた。 水色の空。 今日も良い一日に。 追記: 私の今日の音楽。 リュシエンヌ・ボアイエとシャルル・トレネ。 軽やかで、知的で、甘美。


28. März 2020 (2)
じゃがいもみたいだけれど、りんご。 おやつに、少し糖度の落ちてしまったりんごの蜜煮を作る(茶色はカソナードの色。グラニュー糖を使う方が見た目が綺麗で、爽やかな味)。 子供達がお寿司やおにぎりを作ったんだ、という写真が送られてきた。 素敵なテーブルセッティングで、なぜか、納豆がボウルにたっぷり入れられていて、スプーンでとりわける様子を想像して、笑顔になる。 ご家族そろって、みんな元気な様子で安心した。 今の状況が終わったら、お子さん達と一緒に餃子を作る話をする。 皮から作っても楽しいかもね。 ドイツがフランスやイタリアからの受け入れを開始したニュースを読む。 Frankfurter Allgemeineで東京について書かれている記事を読む。 東京の住民数は、オーストリアの人口とほぼ同じ。 東京の人口密度は極めて高いので、感染が爆発してしまったら、相当に厳しいのだと思います。 自分と他者を守るべく、どうか、4月は出来るだけ自宅で過ごされますように。


28. März 2020
まだ、街をスタスタ歩けた時の写真を。 この3日後ぐらいから、外出制限が出されたのだったかな。 今は、プラーターの遊園地の部分は閉鎖されている。 夜中に目が覚めたので、ほうじ茶を淹れる。 昨日の夜に大きなブロッコリーを二株塩茹でして、冷水で色止めまでしたけれども、冷蔵庫に入れ忘れていた。 写真は、撮った覚えがないけれども、携帯にあった写真。 この時の休憩のものだけれども、ちょっと面白い。 ブログを見返すと、先月の終わりから急にいろいろなことが変わったのだな、と気づく。 先月の中旬には、まだ音楽会にも行けたし、そのあとはスイスから遊びに来ていた方と食事に出かけたのだった。 人生というものは、こういうものだと知っている。 大体のことは驚くこともなく、受け入れてしまう。 それでもなお、今回のことによる決定的な断絶を思うと、少し前までの気楽さが思い出の中で一層明るさを増すようで、とても眩しい。 励ましあえる距離にない人たちの無事を祈る。 会えない人たちの無事を祈る。 今回のことで亡くなられた方のご冥福を祈る。 悲しみにある人の心にいつか穏やかな時間が戻りま


27. März 2020 (2)
今朝、散歩をした時に撮った写真。 ブレゲ。 機械式時計が好きな人には、たまらない魅力があるのだろうな。 時間を視覚化しているというか、ロマンチックなんだよね。 この時計も機械式時計で、近くに寄ると、時計の動く音が聞こえます。 こちらは、ブレゲがマリー・アントワネットのために作った懐中時計を復刻したもの(画像は拝借)。 実物を一度見てみたいなあ、と思う。 まだ携帯電話が今のように普及していなかった高校生の頃、腕時計をつけることがどうにも好きになれなくて、懐中時計を散々探したことがあった。 でも、気に入ったものが見つからなかったのよね。 結局、アンティークの雑誌で見つけた、何かの時計の安価な復刻版を渋谷まで出かけて手に入れたのだけれども、大学生の頃にシャツの胸ポケットに入れたまま洗ってしまい、壊してしまった。 その後、自由が丘のSixというお店で見つけた、アンティークの手巻き時計をベルトを替えながらずっと使っていたのだけれども、ボンに来たら、まるで分解したかのように壊れてしまい。 革のベルトが切れて、ベルトと時計の接着部分の部品が飛び、さらには、巻く