JUNI, JUNI, JUNI

月始めに大きなスケジュール帳に仕事の段取りを書き込んでいく作業。 青木周蔵の伝記をドイツ語に訳す作業と江戸時代の仮名草子のドイツ語訳の仕上げを同時に進めるというのは、正直なところしんどい。 でも、まあ、やれるかな。 青木と晴明は、必ず秋に、遅くとも今年中に形にする。 晴明は必ず出版。 本の構想が新たに2冊ある。 それと博士論文が長らく売り切れになってしまっているので、どうするかを考えている。 この後に続く予定だった研究を再開して、改訂増補という形で別の出版社から出版したい。 もともと博士論文を執筆するために必要な書籍はドイツ語圏の図書館には一切なくて、自分で集めたものだから書庫に揃っている。 博士論文を再度出版するとすれば、計3冊。 今年中に2冊。 共編が1冊。 そして、来年が3冊かな。 展示がおそらく2つ。 それと、あるプロジェクト。 あと大学かな。 テーブルの前で武士みたいになっているけれど。 応援してもらいたいな。 自分で自分のことを応援しよう。 机も見つけないといけない。 ビーダーマイヤー時代の素敵な机に出会いたい。 日本から取り寄せたあるトリオのCDを聴いている。 ベートーヴェン。 録音が特殊みたいで、立体感があって、音が綺麗。 明日から六月。 体力勝負になりそうなので、早朝のランニングを再開する。 六月は、あっという間に過ぎる感じがする。 どこかに楽しい予定を入れて、進みましょう。 今週も良い一週間に。

31. Mai 2020

昨日は東京に住む大学時代の友人とZoomで話す。 直前になって、あれ?ワインを飲むと話したのだったか、お茶にすると話したのだったか、忘れちゃったな、と思い、どちらも用意する。 会議じゃないのに、なんとなくノートも広げていた。 6時間ぐらい話したのかな。 日本が23時、こちらが16時に開始して、別れる頃にはあちらは朝になっていた。 見た目と中身のギャップの話や職場のいじめの話。 競争の話、結婚してからの孤独だとか、日本のグルメの話、デフレの話。 女性の私情を挟む解釈や、空気を読むコミュニケーションにおける疲弊、マウンティング。 自分がある人、得意なことがある人は、日本の組織では生きていけないという閉塞感。 敬意がなくて、恐れだけで生きていること。 見下されたら、その後のコミュニケーションでしんどい思いをするので、 見下されないようにすることだとか、そういうところでの競争など。 優しい人が見下されやすいこと。 男の人が弱音を吐けないで生きている辛さや、女の人が男尊女卑で苦しむ話。 大きな会社で働けば、男社会で生きる辛さや、 小さな会社で働けば、大きな仕事はできない辛さ、 主婦として生きれば、夫に頼るしかない辛さ。 終身で雇用されていても、自分が働いている業界がいつ斜陽を迎えるかわからないこと。 これは大学も同じ。 そういう日本の話を聞く。 これは、どこも同じかな。 生きるとはなんだろうなあ。 人間とは。 今朝方、悪夢にうなされて起きる。 話がなかなかに重かったからかも。 優しい人ほど犠牲になりやすい世界では、とにかく逃げた方が良いとしか言えない。 たとえが極端かもしれないけれど、虫

30. Mai 2020

エジンバラのリス。 大学の前に住んでいたので、大学の庭を毎朝ランニングしていたのだけれども、人懐こくて逃げなかった。 ハイランドの方面にもまた出かけたいな。 マンモスの何かが見つかったかのように、凍土に埋もれていた希望が見つかる。 自分を信じて、探求の歩を進めて、新たな道を創造する。 ベートーヴェン。 生誕250周年のこの年にウイルスのあれこれでいろいろなプログラムが中止になってしまったけれど。 やはり一番好きな作曲家なので、何かの催事には出かけたい。 展示には必ず行こう。 今日も穏やかな良い一日に。

Pfingstrosen

打ち合わせをした仕事仲間からさらに芍薬が届いた。 花瓶が足りなくなり、ミルクピッチャーに。 撫子は窓辺に飾っているけれども、とても元気。 映画「アマデウス」で悪人に仕立てられている宮廷音楽家の名前を冠したイタリア料理屋さんでピザをテイクアウトして、ランチに。 深く、深くに眠っていた傷のようなものが最近疼いていたのだけれども、やっと直視できた気がする。 信頼していた人だっただけに、当時、何が起きたのかわからなかったのよね。 今でも信じがたい気持ちがある。 怒りはない。 けれども、そろそろ私はその私にしかできない仕事を再開する。 よく見ておくように、と思う。 生きていると神様っているのかな、と思う出来事に遭遇したりもするけれど、 神様だったらこうするだろうという生き方を自分がすればいいだけなのだと思っている。 やせ我慢でしかないけれど、男の人も女の人もそれで美しくなるのではないかしら。 うちの前の建物の改修工事が始まるようで、白色のネットが被せられているのだけれども、 雪の日のように寒々しくて、なんとなれば無音だとすら感じる。 色の影響は大きい。 来年の展示の仕事と本の仕事。 それとかたちにするある計画。 そこにさらに大学の仕事が入りそうなので、体力が必要だな、と思う。 背筋とか腹筋とか、ぴんとさせておきたい。 ランニングを再開しようかな。 自分と仲良くいられる生き方を。 今日も良い一日でした。

29. Mai 2020

マグリット。 高校生の頃から、とても好きで画集も持っている。 念願のブリュッセルにあるマグリット美術館に行き、入手したお土産がこちら。 シュール。 アルベルティーナにも何点かある。 ゆっくり絵画と対話する時間を持ちたい。 今日はなぜか月曜日みたいな感じだけれども。 今日も穏やかな良い一日に。

Juni, Juli u. August

6月からスタートを切って、6月、7月、8月の3ヶ月は猛烈に仕事をすると決める。 秋に結果を出そう。 ・9月・10月に晴明の本を出版。 ・青木周蔵に関する本を9月末までにひとまずかたちにする。伝記のドイツ語訳にものすごく苦戦しているけれども。 ・展示のための調査を6月・7月にひとまず終える。第二波が来なければ。 11月に人生が電撃的に変わるよ、と台湾の占い師の人に言われたのだけれども、そうかもしれないとなんとなく思う。 何がどう変わるのかはわからないけれども、鶴の恩返し的な仕事は夏の間に終えて、旅立つ準備を。 この土地に住んだら、どうなるのかな、とか、 この人たちとは長い時間を過ごしたいな、と思っても、 その人生でなければ、どれほど現実的に思えても、夢のような淡さでその未来はやってこない。 ある日、ぐんと引き離される感覚がやってきて、 それに駄々をこねると、離れたくなるような経験が続くことになってしまう。 これは私の人生でよく起きること。 何がいつ最後になるのかわからないから、いつでも最後だと思って、人に会ったり、出来事を楽しんだりしたい。 今のところ、ウィーンは、ニューイヤーコンサートにもご招待いただいて、ウィーン・フィルの定期演奏会にも伺って、大統領とも研究のことでお話しできたから、それらのことが大変だったあれこれへのご褒美だと思えば、人生を案外と正しく生きられているのかもしれないと思う。 楽友協会のアーカイブで楽譜を見て、いつか聴いてみたいな、と思っていたブラームスが戸田極子の箏の演奏で聴いたという曲も素晴らしい方々の演奏で聴けたし(演奏している人の手の動きを見ながら拝聴す

28. Mai 2020

マグリット。 この家のような場所が欲しい。 展示を監修するお仕事が決まる。 スポンサーとの交渉などもあるけれど、私はこれが好き。 お互いに良いかたちに収まるということが、好き。 本の仕事も頑張ろう。 変な言い方だけれども、もっと人に出会いたい。 基本的に仕事ばかりしている私がいけないのだけれども、もっと色々な人と色々なことについて話したいと思う朝。 金曜日かと思い、午前中の間、飛んできたボールを打ち返すような速さで慌てて日本にメールを書いていたけれども、木曜日だった。 木曜日だとわかってもなお、金曜日な感じがする。 今日も穏やかな良い一日に。

JUNI

エジンバラ大学のリス。 文化大臣が替わったら、楽友協会でのコンサートなども再開されるようになったみたい。 よかった、よかった。 あとはワクチンの開発が進みますように。 気づけばそろそろ6月。 新しい洋服を着て、どこかに出かけたい。 仕事は、頑張ろう。 年内に2冊、形にする。 今夜は友人とごはん。 今日も良い1日でした。

27. Mai 2020

仕事仲間から届けられた芍薬と撫子。 少し前の華やかな花束の一部だった撫子はまだ元気。 撫子って、強いお花なのだな。 水を取り替えていたら、チューリップのあの歌が頭の中に流れてきて、 歌詞の「どの花見ても、綺麗だな」をいいな、と思う。 子供の頃は、これが安易な平等主義のように感じられて好きになれなかったのだけれども、 今の自分は確かに「どの花見ても、綺麗だな」と感じていて、率直に良い歌詞だと思う。 この心境の変化はなんだろうな。 今日も穏やかなよい一日に。

Schöner Himmel

良い空。 東京に住む大学時代の友人とZoomでお茶会をしようということに。 自粛や外出規制が解かれた頃にするのが私たちらしいなあ、と思う。 髪の毛はよく見たら、かなり短くなっていた。 スタイリングによっては、ベリーショート。 いいな。 秋や冬がなぜか待ち遠しい。 良いことがある気がする。

26. Mai 2020

ルネ・マグリット。 今日も穏やかな良い一日に。

Neue Frisur

なんとなく良いかな、と思った美容院に予約を入れて、髪を切ってもらう。 染料やシャンプーなどが全てBIOのものだというお店だったので、良いかな、と思って。 でも、ちょっと面白かった。 ヘナのカラーをお願いしたら、ものすごく丁寧に染めてくれた。 それはよかったのだけれど、髪を洗ってもらうときに、ものすごくムーディーなランプが灯る妙な個室に通されて、なんだろうなあ、と思いながらシャンプー台に座ると、その椅子が動き始めて、全身のマッサージチェアだということに気づく。 サービスのつもりだと思うのだけれども、マッサージがそもそも苦手で、ムーディーな雰囲気とあわせて自分の置かれている状況がおかしくなってしまい、笑いをこらえきれず、仰向けの状態で携帯を取り出して、何か面白いメールがきたかのように装う。 シャンプーやコンディショナーがBIOの製品であることをまるでワインのボトルを見せるかのように、マッサージチェアに横になっている私に見せてくれるのだけれども、とにかくその全体の雰囲気が可笑しくて、吹き出すのを我慢しているお腹が震える。 トリートメントをお願いしたら、トリートメントをなじませている間、コーヒーでも、ということになる。 身を起こしてコーヒーカップを受け取るも、その間もマッサージチェアは動き続けていて、お尻が痛い。 しかも、ソーシャル・ディスタンス的な理由で、コーヒーを届けてくれるや否や美容師さんがいなくなり、ムーディーな個室に一人取り残されてしまう。 あれこれ妙でとうとう吹き出してしまった瞬間に、店長さんが様子をみにきてくれて、慌てて挨拶したら、やたらと元気の良い挨拶をしてしまい、すご

25. Mai 2020

3時半から起きて、仕事。 調整することがまだまだあるけれども、動かしていこう。 今日は清々しい日。 ここ2、3日の間に大きなものを手放したからだけれども。 それは、やはり昨日お会いした方の影響が大きい。 メアリー・ポピンズ。 子供の頃に映画で見て、日本語で読んで、大人になってからウィーンでドイツ語でミュージカルを見た。 でも、原文の英語では読んだことがなかったので、全巻セットを注文する。 さて、午後は美容院へ。 髪型をどうしたいのか、とか、何のイメージもなく、そして行ったこともない美容院だけれども、なんとなく予約。 さて、どうなるでしょう。 今日も穏やかな良い一日に。

rendez-vous

今日のデートのお相手は、私が大好きな女性。 最後に会ったのは、3月初旬。 外出制限が発令される一週間前のこと。 その時も花束を作ってもらったのだけれども、デモがあって、トラムが走らず、タクシーに乗るも、道が混んでいて、結局30分以上も遅れて到着したのだった。 その時に、ヘルツェゴビナ出身の運転手さんと話したことは忘れない。 あれから世界は随分と変わった。 ご近所にある日本食レストランにお寿司を届けてもらい、一緒に食事をする。 あれこれ話す。 4時間ぐらい話したのかな。 音楽家の方はお礼状とか、メールとか、全然きちんとしていないのだと笑っていた。 時間の流れの感じ方とか、コミュニケーションのあり方は仕事によって違うものなのかもしれない。 ウィーン・フィルのあの人たち、今、どうしているのかしらね、と心配されていた。 中止になったコンサートやオペラのチケットがテーブルの上に何枚も並んでいた。 街はすっかり以前の日常に戻っているのに、戻らない部分の大きさよ。 あなたもウィーンでずっと暮らしていくでしょう?Wahlheimatになったでしょ?と言われる。 一月に友人の紹介で会った台湾の占い師の人には、まだまだ移動し続けると言われました、と半分冗談で伝えたら、笑って、ここにいなさいよ、と言われる。 2回、日本の大学から准教授のポストのオファーをもらい、その都度迷っていた時も、あなたはこちらの人間よ、あなたみたいな人は日本ではいじめられちゃうわよ、私も随分色々な人に会ってきたけれど、あなたみたいな人は初めてだもの、あなたは才能で生きていく人だと思う、こちらで思う存分頑張りなさいよ、と言われて

24. Mai 2020

3時半頃から起きて、空の青い時間にぼんやりと過ごす。 風が轟々と吹いていて、十一月のイギリスを思い出す。 風を聴いていると、わかることがたくさんある。 この時と今は、重なる。 変わる時。 今日は、デート。 ランチにお誘いいただいたので、出かけましょう。 今日も穏やかな良い一日に。

regnen

イギリスに暮らしていた時に焼いていたパン。 あの頃は、パンを毎週末に焼いていたのだった。 厚切りのトーストを食べたい。 また、パン作りを再開しようかな。 今日は、仕事の関係で雷を落とす。 といっても、とても静かな雷だけれど。 私はフェミニストではないけれど、男の人は、どうしてもちょっと幼いところがある気がする。 競い合うところとか。 自信がないのか、他の人よりも大事に扱って欲しいのか、よくわからないけれども、 自分の重要さを示したいだけで、いろいろとよくわからないことをされると疲れてしまう。 自分がそういうことをされたら、どう思うか考えてみて欲しい。 例えば、お互いに自分は大事で忙しい人間だから、連絡には時間がかかるという態度をとれば、どうなるでしょう。 フォローの長いメールが届いて、電話で話したいと言われるけれども断る。 夜は、友人とごはん。 生姜焼きを作る。 私は、優しくて、不器用で、愚直で、可愛い人が好きだな。 純粋で、損ばかりしているぐらいの人が好き。 人に馬鹿にされようとも、胸を張って、大事なこと、大事な人を守る強さのある人を素敵だと思う。 今夜は大雨。

23. Mai 2020

数年前の夏に撮ったプラーターの写真。 この景色は戻るのかな。 あるプロジェクトのことで、この人とはもう一緒に仕事はしなくていいと思っているという意見を聞き入れて、その人の参加を見送ることにする。 他にも最もな理由があるからだけれど。 人や組織をマッチングさせて、プロジェクトや催事をコーディネートするような仕事が増えてきているけれども、みんなで築いてきた仕事の成果を独り占めするとか、横取りするとか、自分のことしか考えていない人や組織には、やはり厳しい時代になるのではないかな。 これまでは能力があったり、知名度が高いなどのメリットで受け入れられてきたことが、もう受け入れられなってきているように思う。 二つのことはグーンと前に進んだので、楽しみ。 仕事着を何着か新調して、お化粧品も新しい色のものを購入。 今の、これからの自分にアップデート。 楽しい。 今日も穏やかな良い一日に。

company

ドイツ語で長文のメールを書き続ける。 人を利用できる駒と見る人たちと 人と友情や敬意で繋がる人たちとは、 これから綺麗に分かれていくのではないかな。 今、仕事の人間関係の調整をしているけれども、そんな印象を受けている。 GiverとTakerで見ると、これまでGiverだった人たちがもうTakerとは一緒に仕事をしないと決めるような流れが確実にある。 これからはGiverはGiver同士で繋がり、どんどん豊かになるのに対して、 TakerはTaker同士、奪い合って、失う経験をしていくのではないかしら。 日本で今起きていることも、こういうことのような気がしている。 一部のTakerを大勢のGiverが支えていたけれども、Giverの善意や我慢が踏みにじられて、搾取されて、わずかばかりでも寄せていた信頼すら裏切られて、初めて怒りを爆発させて、Takerをこれ以上支えないと決めた。 不均衡が均されるプロセスで、これまで搾取していたような人たちには鉄槌のようなものが降って、ここからはずっと暗いところに閉じ込められる印象がある。 ここ2、3年、私たちの知らない間に試験が行われていて、その結果が出たということのような気がしている。 この試験結果の影響は、結構、厳しいもののように思う。 因果応報というのか、平等や公正とは、こういうことだということが起きてゆく。 時代が変わる。 高く、縦に積み上げられて、下が必死に上を支えるというような構造をしていたものは崩壊する。 必要な経験をしてこなかった人たちは、この先、人生の勉強をやり直す時間に入るけれども、 これまで厳しい時間を過ごして、仲間と出会

22. Mai 2020

またもやメールを書いて、半日が過ぎていった。 朝は、お蕎麦を半束茹でて、ワカメと卵をトッピングして、温かい白だしでいただくというもの。 最近は、この朝ごはんがお気に入り。 胃に優しい。 以前からカードで支払うことが多かったけれども、今回のことでカードでの支払いが推奨されるようになり、お財布を一切持ち歩かなくなった。 最近は、いつも携帯のカバーのポケットにカードを入れて持ち歩いている。 こうなると、バッグも小さくて良い。 マスクにデザインを凝らしたものが出回るようになり、ファッションも変わりつつある。 女性のお化粧も変わるのかしら。 目元・手元に重点が置かれるようになるのかしら。 すでに、マスクを外して会える距離にあることが、特別な関係に感じられる。 今日も穏やかな良い一日に。

"Wir definieren uns durch die ausgezeichneten Leistungen"

ジャスミン。 ウィーン・フィルが演奏時の飛沫距離を測る試みを専門家との協力において進めているという記事を目にしたのだけれども、そこで目にしたフレーズがとてもよかった。 "Wir definieren uns durch die ausgezeichneten Leistungen" オーケストラとしての矜持を示している一文。 この志の高さとプライドをすごく良いな、と思う。 このフレーズは自己を定義するときにも使える。 何によって自己を定義するか。 例えば、人生で、あることやある役割をもう十分経験したと思ったとき、 私という人間を定義するdurch(「○○によって」)のあとに続くことを替えれば良い。 という私ももう十分に経験したと思うことがあったので、卒業することにする。 アイデンティティの斬新。 今日も良い一日でした。

​Autorin 
Recent Posts
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square

​© 2012-2020 Nana Miyata