

31. August 2021
寝室の薔薇。 隠れてしまっているけれど、黄色の薔薇もたくさん。 他にはピンク色の薔薇も別の場所に飾っている。 お花の中では薔薇が一番好き。 コーヒーを買ったら、店員さんが間違えて、倍の量を挽いてしまい、その分をサービスしてくれた。 なぜかプレゼントしてもらったビーダーマイヤー時代の家具だけれど、その配達料もサービスしてもらえることに(オークションハウスから車を使わずに、男の人2人で運べたかららしいのだけれど、そういうものなのかな、と思いつつ)。 なんだか、とてもありがたいです。 ありがとう、ありがとう、ありがとう。 何かをしてもらったら、少なくともその3倍くらいには恩を返そうと思う。 世界に。 今日も穏やかな良い1日に。


29. August 2021
気温が急激に下がったので、ミルクティー。 この絵付けができるのは、現在、マリアさんだけなのだそう。 欲しいものがない時は、彼女に描いてもらっている。 働き方など、いろいろな見直しをしている。 本来の自分と関係のないことを手放しても一向に構わない。 私がやらなくても良いことを仕事とすることをもう終わりにする。 自分の日常の、人生の質を損なうことを終わりにする。 9月は静かに進みましょう。 人生が変わるようなことが起こるのだけれども、だからこそ静かに。 良き日々を。 良き人生を。


28. August 2021
しんどくなりすぎて、熱を出す。 私が熱を出しても何も変わらないのに、何をしているのかな、と思う。 いつでも、人間の世界は過去のよう。 こうすれば良いのに、という合理性が浸透しない。 人間の共同体の秩序には、人間の業のようなものが含まれているなあ、と思う。 いわゆる世界宗教となる信仰の世界を作り上げた人物は、この業の謎を解き明かして、具体的な助言も与えた天才だったと思うのだけれど、その理解、世界観には、当時の世相だとか普遍的ではない要素も反映されている。 アップデートしないのが、原理主義。 アップデートできる人は、その時代には異端とされるのだろうけれど、 オーストリアであれば、アドラー、シュタイナーもそういう人物であっただろうし、 今で言えば、ダライ・ラマ様もそのような人物だと思う。 ここから世界は二極化が進んでいくのでしょう。 これまでの権威主義的なピラミッド型の上意下達の旧体制の中で好んで生存競争を生き抜く人たちと、そこから外れて個人としてアップデートしながらフラットな流動性の高い関係性を結んで、自分と他者を活かして生きていく人たち。 他者に勝


26. August 2021
仕事が一つ手から離れた。 A4で42ページ。 最近の世界情勢にすっかり気持ちが落ち込んでいる。 バイデンさんはやっぱり問題のある人だったな、とか。 あまりこれ以上、悪いことは考えたくはないけれど、均衡はもはや失われてしまったのだから、ドミノのようにパタパタ倒れていくものがあるだろう。 そのことを思うと、なかなかにしんどい。 そして、気づくと、このレベルでなくとも、必要悪を肯定しながら生きている私たちってなんなのだろうなあ、と思う。 あまり変わらない。 人間社会というのは、良いものではないなあ、と思う。 人間ってなんのために生きているのでしょう。 知的生物と言われているのに、生存競争に明け暮れるのが本性かしら。 あまり頭が良い生き物ではないのかもしれない。 長く生きても100年の寿命のスパンでしか考えられないのかな。 自分のことしか考えられないのかな。 人間って本当になんなのでしょう。 あまり賢い生物ではないのかもしれない。 脳は、馬鹿かもしれない。 明日になったら、欧州は件の国から撤退する。 日本の関係者だけでも500人いると言われているけれど、


24. August 2021
館長と会う。 館長が、私に会って、意見を聞きたかったということについて、話す。 あとは、彼の近況を聞く。 いつも服装がウィーンの人らしくなくて、面白いなあ、と思う。 今日は、ものすごく個性のある眼鏡をかけていた。 それしか目に入らないくらい。 オフィシャルな彼のことしか知らない人は、彼のこの雰囲気は全く想像できないだろうと思う。 これから2週間、ギリシャでバカンスだそう。 30年以上、この習慣を続けているからね、と笑っていた。 色々な物事が良きかたちでまとまるかな、と思う。 私も手伝うことになったけれども。 帰宅したら、最近の疲れがどっと出て、ベッドに倒れ込んで眠る。 夕方のっそり起きて、ワインを。 自分の真実だけを生きましょう。


23. August 2021
今年は、冬用にマリン・ブルーのカシミヤのセーターを新調した。 何事もなければ、一生着るでしょう。 イギリスから届いたのだけれど、とても美しく梱包されていた。 届けてくれたDHLの方のお嬢さんもナナという名前らしい。 二人で笑う。 ナナは意外と色々な国にある名前なんだよね。 ご近所さんが留守だったので、その方の荷物も預かる。 自分の中で色々なことの答えが出せた感じ。 ずっと頭と手を動かして、翻訳をしているけれど、その隙間隙間に答えが出てくるので、ノートに書きつける。 夕方からは企画書を書く。 もう、何度書いたことでしょうか。 こういった文書を書くためのドイツ語がだんだん素晴らしくなるなあ、と自分でも笑ってしまう。 私の凄いところは、意外と一向に諦めないところかもしれない。 ずっとそのことばかりを考えているわけではないけれど、なるべきことはなると思っているので、 機会が来たら、何度でも挑戦する。 失敗とか、突き返されることについては、なんとも思わない。 仕方のないことはある。 どんなことも良きことに繋がっていると思っている。 過去の出来事をいつかそう


20. August 2021
夜中の薔薇。 とても良い色。 こんな色のワンピースを着てみたい。 夜中の桃。 夕方に美容院の店長さんに電話をして、開いた時間に飛び込みで特別に髪を切ってもらう。 ありがとう、ありがとう、ありがとう。 すごく早くて、上手なので本当に助かる。 今回はいつもよりも短い、ボーイッシュなベリーショートにしてもらった。 直帰して仕事。 オンラインで購入していたスーパーの荷物が届く。 これも本当にありがたい。 でも、面白かったのが、このオーストリア産の桃。 早稲みかんみたいに小さい。 コンポートにすると美味しそうだなあ、と思う。 この他には有機栽培のブルーベリーも届いた。 翻訳が一本完成する。 2万2千字。


19. August 2021
私がウィーンを好きなのは、芸術の町だからだということに改めて思い至る。 服部豊子さんが、ウィーンの人は、人生を芸術化する術を知っているとおっしゃっていたけれど、その通りだと思う。 自分の個を生きるということ。 ムーティさんに感銘を受けたことで、何かがはっきりと終わって、確信を得ることができた。 こんなに文房具のストックがあるというのに、シャーペンの芯がなくなってしまい、慌ててアマゾンで注文したら、すぐに届けてくれた。 ありがとう、ありがとう、ありがとう。 スーパーでお買い物をする時間もないので、オンラインで注文する。 店頭で見ることのない、有機栽培のアボカドがとても美味しかったので、3つ注文する。 詩を読みたい。 音楽を聴きたい。 全てのことは、自分の基準で取り入れて、自分を作っていきましょう。 人生は美しく。


18. August 2021
以前に撮った写真。 マグリットのクリップ。 どことなく人魚のようだけれど。 15日にムーティさん指揮、ウィーン・フィル演奏でミサ・ソレムニスを聴いた。 ミサ・ソレムニスを聴けるのは、一生に一度のことだと思う。 前回、ザルツブルクで演奏されたのは50年前のこと、カラヤンの指揮。 コロナのことで演奏会が中止になり、時間ができたから取り組むことができた、というようなことがプログラムには書かれていたけれど、そういう巡り合わせもあるのだな、と思う。 聴けてよかった。 ムーティさんは、客席にふわふわと可愛く手を振って、舞台を去っていった。 どんな人かは知らないけれど、愛らしくて、軽やかだった。 彼の手元が見えるような、舞台に向かって、少しだけ横の方の席を確保したのだけれど、所作と呼びたくなるほどに美しかった。 指先にまで表現が込められているというのか、どことなくバレエみたいな感じ。 曲と曲の間に眼鏡を拭いていた時間があったのだけれど、その時も泰然としていて、意識の内側と外側の時間の流れが一致している印象を受けた。 静謐と呼ぶにふさわしい時間。 ムーティさんに


Übersetzung
翻訳の仕事がしんどい。 訳すのは早い方だと思うけれど、全部で45時間ぐらいかかるものを3日間で終わらせようとしている。 19世紀の文章は、今の文法と違うし、何よりコンマの使い方がひどく適当。 語彙の用法も違うので、理解が滑ってしまうと誤訳してしまうので、調子に乗らず、その都度辞書を引いて、あらゆる解釈の可能性を探る。 翻訳をしたことがない人の中には自動的に訳せると考えている人もいるみたいなのだけれど、全く違う。 日本語らしくわかりやすい文章を作るには、情報の並べ方も工夫する必要があるので、ものすごく頭を使う。 今日の24時までに完成できるでしょうか。 明日の9時に先生と打ち合わせなので、とにかくそれまでに完成させなければいけない。 今の時点で8ページ。 あと8ページ。 久しぶりにしんどいけれども、私ならできるでしょう。 こういう時の自分の力を信じている。