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お化粧品の整理をする。

もっぱら使っているのは、一番右のボームばかり。

いつかまたマスクをしないで良い時が来るのかな?


以前は、もう少しちゃんとメイクもしていたというか、関心があった。

髪がとても長かったこともある。

あれこれあっての今なのだけれど、女性が自分の女性らしさを大切にできなくなる心境というものがある。

私は、この時間が結構長かった。


誰にでも向ける優しさや善意のようなものが、甘露のように求められてしまうことがある。

それだけ疲れていたり、傷ついていたり、孤独を深めている人が多いのだと思うけれど。


何かをされたわけではない。

でも、適切ではない心の近さで依存されると疲弊する。

あるいは、どのような関係性であっても秘書だとか、何か女性としてのあり方、サポートすること、理解すること、男性を引き立てること、従うことなどを求められると仕事にならない。

「癒し」への期待は、女性のその人らしさの搾取につながっていることが多い。


本来、色々なもの、こと、人に分散して依存していれば良いのだけれど、不自然に生きている人は、よりかかれるものが圧倒的に少ない。

男女として健全に依存し合えるのは、夫婦の関係だけだと思うのだけれど、世の中には、奥さんに対しても本音を言えない男性が多いのだと思う。

そういう人はカウンセリングを受けると良いと思うので、もっと、カウンセリングを受ける環境が整うと良いな、と思いつつ。


結構しんどいな、と思っていたときに椎名林檎さんの歌を聴くようになったのだけれども、

彼女の歌には、どこか女性の女の子らしさのようなものに活力を与えてくれる世界が広がっている。

大人になっても女性が大切にしたい女の子らしさというのは、男性に向けたセクシャルなアピールではなくて、センシュアルな、つまり感受性のことだと思っている。

美しいものを見て、美しいと思うこと、愛しみたいと思うこと。

可愛いと思う気持ち。

自分という花を大切に育てたいと思う気持ち。

命を輝かせたいと思う気持ち。

それが、自分と他者への愛情、博愛につながっている。


男性の中にも女の子はいるのではないのかな、と思う。

それを今よりも大事にできると良いよね。

中原淳一さんの本などを読んでいると、本当にそう思う。

芸術は、博愛を芯に置くもの。


弱さ、強さといった腕力的な尺度で人間を量ることがなくなると良いと思っている。

自分の気持ちにも他者の気持ちにも鈍感で、

なんとなれば、横柄に振る舞って、傷つけることができることを武勇のように考える思考回路がなくなりますように。

価値観の問題なので、なくすことはできるはず。


繊細さ、優しさ、思いやりは品の良さ。

人間を量るなら、品が良い。

これからは、そんな世界へ向かっていきますように。


感受性が強い、繊細で、優しい男性はとても素敵だと思う。

マッチョに偏った男性と癒しを求められて疲弊する女性という構図がなくなり、

優しいもの同士で、お互いの特性を補い合えるような関係を結べる社会となりますように。

男女平等というよりは、博愛の精神がいいな、と思う。


ということを考えながら、晩酌。

白ワインと胡瓜のサラダ。

家にずっといると、朝のウィータビックスとお昼ごはんだけで、お腹が空かないので、夜ごはんが要らない。


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去年のクリスマスツリー。

今年は、どうなるでしょう。


口内炎がいくつもできてしまって、痛い。

今のところ、ウィータビックスを牛乳にしっかり浸したものが一番平和な食べ物。

うんと年上の友人は、回復に向かっているようなので、まずは一安心。


曲げわっぱのお弁当箱が欲しくなり、大館工芸社のサイトを眺める。



そば皿、蕎麦ちょこ、湯呑み、お櫃、お重も素敵。


お弁当を持っていく機会というのは、そんなにないのだけれども、お弁当箱に詰めるということをしたい。

ふとベートーヴェンの散歩道にあるベンチでお弁当を食べるところを想像してみるけれども、

一人でお弁当を広げていたら、すごく変だろうな、と思い、可笑しくなって、却下。

そもそも、今は寒すぎるよ、と自分に伝える。


十数年使っていたランチョンマットをご苦労様して、新しいものを注文する。

笑ってしまうほど、物持ちが良い。

ボンで暮らしていたときにパリで買ったものを、ウィーン、エジンバラ、そして再びウィーンで使っていた。

パリには好きな手芸品店などがあるのだけれども、コロナのこととは関係なしに、治安があまりに悪化してしまったので、足が遠のいてしまった。

私みたいに少し抜けている人間が一人でフラフラできる街ではなくなってしまったように思う。


来年のニューイヤーコンサートは無観客で行われるみたい。

あれから、もう一年が経とうとしているのだな。

ネルソンスさんが新年の挨拶を忘れてしまったこととか、聴衆にもわかりやすいように手拍子のサインを送ってくれたことなどがとても良い思い出。

この一年は、早いような、色々あったような。


坂本美雨さんのこの歌がとても好き:


穏やかな良い1日に。


明け方にヴィクトール・フランクルの『夜と霧』の一節を思い出す。


強制収容所から「いい人は帰ってこなかった」。


この世界で人間に起きることに神様のような存在は介入しないのだけれど、

だからこそ、どう生きるかというところで魂の高潔さのようなものが示される。


死ぬまでの時間の理解と人間社会、エゴイズムとの関わり方。


このことに対する理解と身の振り方に、その人の魂が表れる。


類は友を呼ぶ、というのは、この「理解と身の振り方」に通じるところがあるということ。


そんなことをつらつらと考えていたら、椎名林檎さんのこの歌の歌詞を思い出す。


そして、フランクルに会ったという先生の話を思い出す。



これからは、お互いに呼びあった友と生きていく世界。


これまでの時間の後悔、罪悪感、悲しみ、怒り、失望、絶望、

全てを今年に置いて、

誰もが、来年、新しい人生に進むことができる。


終わった繋がりには感謝して、さようなら。



穏やかな良い一日に。


​Autorin 
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