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ビーダーマイヤー時代の猫足の椅子。

座ると背筋がぴんと伸びる。

素敵だ。


椅子は色々なデザインのもの(トーネット、ビーダーマイヤー時代の椅子)を少しずつ集めたい。


いつもお世話になっている薬局から、この建物の管理人さんに、出張して、PCR検査をしてあげます、と連絡があったらしい。

管理人さんからメールが全員に送られてきて、今、そのやりとりが行われているのだけれども、みんな仲が良くて、ちょっと笑ってしまう。

一年に一度は中庭で集まったり、礼拝に出席したり、数年に一度はバスを貸し切って、一緒にお城やワイナリーに遠足に行くのだけれども、それも珍しいことなのだろうと思う。

とにかくみんな親切で仲が良くて、私はこの輪に加えていただいたことに本当に感謝している。

ありがたいのです、本当に。

ここに住んでいると本当に守られている感じがするし、暖かい感じがする。

心から感謝している。


今日も良い1日でした。



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晴明、三校。


しばらくの間、スキャナーの接続だけ失われていて、とても困った機械音痴の私は短気を起こして、いっそのこと新しいものを買ってしまおうかしら、と思うけれども、思いとどまり、あれこれ試していたら直せた。


短気は損気。


先生がプレゼントしてくれた椅子が届いた。

女性用の椅子。

明るい印象のとても素敵な椅子。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。

とても嬉しい。

布を張り替える予定だけれども、しばらくはこのまま使わせてもらおうと思う。

携帯のカメラが作動しなくなってしまったので、写真はまた別の機会に。



寂しさから誰かと一緒にいるということは、やめた方が良いだろうと思う。

世の中には少し悪い人もいて、その人のためにはならない優しい言葉で、自分に依存させてしまう人もいる。

この悪い人が配偶者の場合、家族しか自分には心の居場所がないような気持ちにさせてしまい、本当にその人を思っている人たちからも孤立させてしまう。


あなたのためを思って、とお節介な苦言ばかりを呈する人もどうかとは思うけれど、

ただ、ただ甘やかして、自分に依存させる人は怖い。

ある程度社会的地位があって、心に孤独を抱える人ほど、嘘の優しさや愛情に落ちてしまう人は多いのだろうと思う。


本当の愛情には、その人にとっての貴重なものを差し出してくれる覚悟があると思う。

時間を割いてくれたり、痛み分けも辞さない覚悟で、本音でぶつかることを厭わない覚悟。

自分の心配や考えを安易に押し付けたり、問題を解決しようとするのではなく、

何をしてもあなたが正しいというイエスマン的な肯定ではなく、

辛抱強く、何度でもいくらでも対話のステージに残ってくれる、境界線を越えない他者であってくれる人。


大人になったら、配偶者でも、兄弟・姉妹でも、どんなに親しい友人でも、できるだけ喧嘩はしたくないだろうから、自分が嫌われることを覚悟してでも、本音で接してくれるということのありがたさを忘れないようにしたい。

その覚悟にこそ、相手への信頼、自分と相手の間にある関係性への信頼があり、それが愛情だと思うから。


辛抱強く対話してくれる人を大切にすること。


自分の殻に閉じこもって、自分の思い込みだけで完結しないこと。


自分をただ甘やかす人からは離れることのできる、孤独への耐性のようなものや複数の人との穏やかな関係を獲得し直すこと。



孤独の扱い方って難しいけれども。

何事もなく穏便に済ませることを目指さなければ、思い込みは是正されるように思う。

摩擦を避けるばかりに、自分の物や人の見方が変わらず、ネガティブな思い込みを募らせてしまい、それが自分自身を傷つけるということもあるのではないかな。


というようなことを考える朝。


今日も穏やかな良い1日に。



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本に使ってもらう写真はこちら。

今より顔が丸いような気がする。

この日のごはんは美味しかったな。


最近、夜中に目が覚めるとノートに色々なことを書き綴るのだけれども、自分の人生はこれが最高だったなあ、と思う。

誰もがそうだと思う。

起きる出来事に対して、快不快の感情はあるけれども、起きることは全て必然で、あのときああなっていたらよかったな、と思うことは何一つない。

ああしていたら、どうだったかしら、と思うことはあるけれど、あの時の自分にはあれが精一杯だったと思うことばかり。

だから、学ぶのよね。


自分が選んで、歩んだ道のりで出会えた人たちはみな、その後、それぞれの場所に移動して、今は簡単には会えなくても、会えてよかったと思う人たちばかり。

とりわけイギリスで出会った各国に住む友人たちとの出会いは、私の世界をうんと広げてくれた。

オーストリアに再び戻ってからも、一生忘れることのない出会いが待っていた。

ご縁は、世界中に散らばっている。


別れることになった人たちからも、大切な何かを学ばせてもらった。

人は、何かを与え合って、学び終わったら、別れるようになっている。

まだ何か起きるべきことがある間は、別れられない。


ずっと続くようなご縁は、本人たちにとってプラスになるだけでなく、一緒にいることで世界に良きことをもたらすことのできる関係性にある人たちの間にあるもの。

揃うからできることがあるような関係性。

そんな関係性にある人たちが出会うと、何かが発動して、否応なく影響を与え合って、人生が変わる。

こんなことが起きる時は、本人たちの意志に関係なく、何かの采配が強烈に働く。

私たちの人生は全体性の中の一つに過ぎない。


人生において大切なことほど決まっている。

実際に、自分の人生を振り返ってみても、そう思う。

全ての人に「あなたはこれをしてください」というものがある。

それにまつわることについては、本人の意志とは全く無関係に強制的に決まる。

自分に起きること、与えられているもの、運命を愛せたら、自分を愛することができる。

それが、自由であるという状態。


そうなるべきことは、そうなるし、

そうなるべきことでないことは、そうならない。

だから、あらゆることに拘泥しないこと。

健やかに伸びやかに日々を愛しみ、大切な人たちを大事にして生きていく。


今日も良い1日でした。



​Autorin 
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