
私がウィーンを好きなのは、芸術の町だからだということに改めて思い至る。
服部豊子さんが、ウィーンの人は、人生を芸術化する術を知っているとおっしゃっていたけれど、その通りだと思う。
自分の個を生きるということ。
ムーティさんに感銘を受けたことで、何かがはっきりと終わって、確信を得ることができた。
こんなに文房具のストックがあるというのに、シャーペンの芯がなくなってしまい、慌ててアマゾンで注文したら、すぐに届けてくれた。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
スーパーでお買い物をする時間もないので、オンラインで注文する。
店頭で見ることのない、有機栽培のアボカドがとても美味しかったので、3つ注文する。
詩を読みたい。
音楽を聴きたい。
全てのことは、自分の基準で取り入れて、自分を作っていきましょう。
人生は美しく。

以前に撮った写真。
マグリットのクリップ。
どことなく人魚のようだけれど。
15日にムーティさん指揮、ウィーン・フィル演奏でミサ・ソレムニスを聴いた。
ミサ・ソレムニスを聴けるのは、一生に一度のことだと思う。
前回、ザルツブルクで演奏されたのは50年前のこと、カラヤンの指揮。
コロナのことで演奏会が中止になり、時間ができたから取り組むことができた、というようなことがプログラムには書かれていたけれど、そういう巡り合わせもあるのだな、と思う。
聴けてよかった。
ムーティさんは、客席にふわふわと可愛く手を振って、舞台を去っていった。
どんな人かは知らないけれど、愛らしくて、軽やかだった。
彼の手元が見えるような、舞台に向かって、少しだけ横の方の席を確保したのだけれど、所作と呼びたくなるほどに美しかった。
指先にまで表現が込められているというのか、どことなくバレエみたいな感じ。
曲と曲の間に眼鏡を拭いていた時間があったのだけれど、その時も泰然としていて、意識の内側と外側の時間の流れが一致している印象を受けた。
静謐と呼ぶにふさわしい時間。
ムーティさんに、思いの外大きな影響を受けて、コンサート会場を後にする。
駅で待ち時間があったので、コーヒーを飲んでいたら、そのお店に入ったときに、一眼見て、美しい人だな、と思っていた人から声をかけられた。
少しお話しをする。
彼女の方が先にお店を出たのだけれど、その時に、良い午後を、と声をかけてもらった。
あなたも良い午後を、お会いできてよかった、と伝えたら、美しく笑っていた。
魔女の宅急便で森の中でカラスの絵を描いている女性がいるけれど、あの人がうんと歳を重ねた後の姿という印象の女性だった。
芸術家の方なのではないかな。
全体的に聡明な美しさが発光しているような感じで、美しい艶のある真っ白な髪の毛をポニーテールにしていた。
この日は色々と不思議な日だったのだけれど。
仕事をとにかく終わらせたい。
翻訳の仕事がしんどい。
訳すのは早い方だと思うけれど、全部で45時間ぐらいかかるものを3日間で終わらせようとしている。
19世紀の文章は、今の文法と違うし、何よりコンマの使い方がひどく適当。
語彙の用法も違うので、理解が滑ってしまうと誤訳してしまうので、調子に乗らず、その都度辞書を引いて、あらゆる解釈の可能性を探る。
翻訳をしたことがない人の中には自動的に訳せると考えている人もいるみたいなのだけれど、全く違う。
日本語らしくわかりやすい文章を作るには、情報の並べ方も工夫する必要があるので、ものすごく頭を使う。
今日の24時までに完成できるでしょうか。
明日の9時に先生と打ち合わせなので、とにかくそれまでに完成させなければいけない。
今の時点で8ページ。
あと8ページ。
久しぶりにしんどいけれども、私ならできるでしょう。
こういう時の自分の力を信じている。
























