
いつかのザッハー。
とても甘くてケーキも一つは食べ切れないのだけれども、小さな6個入りのを買ってこようかな、と考える。
ザッハートルテは、小麦粉を使わないところに特徴があるらしい。
久しぶりに朝から良いお天気。
気持ちもすっと晴れる。
今、テーブルの上には大輪の可愛らしいピンクの薔薇が3本。
良い香り。
今日も穏やかな良い1日に。

いつかのワイングラス。
携帯で写真が撮れなくなってしまった。
あらら。
中秋の名月。
お団子を作ろうかしらと考えたけれども、もう眠いので寝ます。
最近、睡眠時間が極端に短いのだな。
和食の好きなうんと年上の友人がいなり寿司が好きだと言うので、意外だな、と思いながらも近く作ってあげることにする。
二人とも量を食べられないので、作る分量が問題だけれども。
お料理は上手ではないけれど、ひとまず大体のものを作れるのは弟たちのおかげ。
気づけば家族のことばかり書いているのは、案外寂しいのかもしれない。
弟の家の赤ちゃんにプレゼントを贈ることすらできていない。
1月に会えてよかったよ。
何かに我慢していることに気づくと、今の自分の妙な疲れ方の理由の一つが納得できるような気がする。
変な世界になってしまったな、と思う。
久しぶりにロアルド・ダールを読みたい。
大好きな作家。
全集を買ってしまおうかしら、と思う。
そして、暗い冬の時間は暖かい自分の世界に引きこもってしまいたい。
4日を楽しみにしましょう。
仕事も楽しいのだけれどもね。
今は、やっぱり、人と喜びを共有できたり、賑やかな場所にいると特別に幸せに思う。
今日も良い1日でした。

いつかの朝。
昨日は、スケジュールのことで心持ちとして過呼吸気味になってしまったのだけれども、持ち直す。
こういうときの自分のメタ認知のようなものを自分でも不思議に思うのだけれども、ぶくぶくと沸騰したお湯を落ち着かせる差水のように、こういう考え方、見方をしても解決にならないという思いがどこからかやってくる。
そうすると、沸々と動きのある思いが思考に整えられて、目標を達成することに最適化された自分に戻る。
私の中核にあるものは、冷たい静寂だろうと思う。
10月。
ずっと水面下で準備を進めてきたことに最初の結果が出るだろう。
8月に大きく駒を進めて、9月にその駒を次に進めたこと。
利害に関心のある関係者が多くなると実現するものも実現しなくなりそうだったので、身近な人も遠ざけて、ほぼ一人で動かしたこと。
信用している、していないの問題ではなくて、何かがあったときにも責任を自分だけで取れるようにするため、大事なことに関係していなければ、これからも繋がってゆけるような関係性を壊さないようにするため。
振り返ると、頭や自分の使い方がこれまでと随分と違っていた一年だったなあ、と思う。
普段の自分の仕事においては、正直なところ信じられないほどに絶不調をきたしていたのだけれども、おかげで、あまり使わないようにしている別の力を使うことができるようになった。
そのおかげで、今までだったら、小手先で処理するような自分の中の小賢しさに頼っていたかもしれないことを自分自身と一貫性のある決断において実行できるようになったのだと思う。
小賢しさで自分を欺く、裏切るということがなくなって、一番ほっとしているのは他でもない自分。
のびやかに参りましょう。
今日も穏やかな良い1日に。
























