4. September 2020
不思議な夢を見る。
ある人を助けたくて、なんどもタイムスリップするけれども、その人のある地点のある行動だけは変えることができなくて、どの未来になってもその人の未来だけは変わらなかった、という夢。
夢の中の私は、タイムスリップって、できるんだなあ、ということと、
未来が変わらないということは、こういうことなんだ、ということを思い知らされていた。
宿命なのか、意思の強さなのか、よくわからないけれど、あるポイントからの行動は絶対に変えられなかった。
それまでの人生がまっすぐにその未来を指していた。
それを運命と呼ぶのかもしれない、と思う。
光がパンと弾けて、タイムスリップが完了しても、その人の未来が変わらなかったことを別の場所で感じ取っていたとき、
その人の声で、ある地名を告げられて、そこで会いましょう、というメッセージが聞こえた。
それはどこだったっけ、そこに行ったら、どう会えるというの?と思っていたら、目が覚めた。
タイムスリップした世界で印象に残ったことは、子供と大人の違いだった。
子供は、何度でも弾けるようなリスタートをしていた。
大人は、連続性に身を委ねていて、意思が薄かった。
地球に流れる時間とは、何だろう。
子供は時間の影響を受けていないみたいだった。
社会化とは、時間に意識をチューニングしていくことなのかもしれない。
それができない人というのは確かにいて、大人になるにつれて、生きずらくなる大人というのは、本来は生命力が強いのかもしれない、と思う。
いわゆるお勤めができない人というのは、何もおかしなところはなくて、要は、生まれた時の設定からずれていないということなのだと思う。
時間の中を泳ぐことが苦手な人の気持ちはよくわかる。
芸術家の集中力だとかは、時空が歪むものだと感じる。
内面に入り込んでしまった人も、集中という点では同じだろう。
孤独、社会からの疎外感は、時間とのチューニングがうまくいかなくなったことから生じることでもあるのだと思う。
鬱だとかは、それが極まった精神状態を指す名称なのかもしれない。
大人になっても感受性の鋭さを失わない、生きにくい人というのは、地球の時間に完全にはチューニングできてない生命体ということなのかもしれない。
人間の内側にはブラックホールが開いていて、宇宙が広がっていて、そこにずっと繋がっている人もいれば、時折、引っ張られていく人もいて、人間の魂というのは、異次元を行き来する宇宙船のようなものなのかもしれない。
と書くと、心のバランスを崩しそうになるけれども、SFのような夢を見たから、そのままに書いている。
でも、案外、おかしなことではないのではないのではないかな。
大体の人間は本来は、もっと未来のような世界からやってきたのではないかと思う。
子供には未来があるというのは、そういうことだと思うのよね。
では、なぜ、この星にやってきたの、なんてことを考えると、もっと心のバランスを崩しそうになるけれども、本当はもっと、平和に、楽しみを実現できる惑星なのだろうなあ、と思う。
時々、太陽の光の当たらない惑星にいる夢を見るけれども、地球は圧倒的に色にあふれていて、美しい。
身体があることで感受できる喜びがいくつもある。
と起き抜けの頭で考える朝。
写真は、桃、生ハム、モッツァレラチーズ。
昨日の夜ごはん。
涼しくなってきたので、こんな感じの食事も終わりかな。