
幼なじみからのプレゼントが届く。
私が彼女に贈ったものは、リバティプリントの林檎の針刺。
彼女が私に贈ってくれたものは、ウィリアム・モリスの刺繍セット。
針とか手芸とかイギリスとか、お互いに贈ったものを知らせていなかったのに、以心伝心のようで嬉しい。
すごいなあ。
郵便局の人がみんな親切で、このことも嬉しい。
わざわざ私のところまで届けずに、ポストに投函しておいてくれれば良いものも届けてくれる。
代引きで届いて、現金を家に置いていなかったので、郵便局に引き取りにいかなければ行けなかったのに、翌日、再配達してくれた。
一人の人は「朗らかな、幸せな」という意味の名字なのだけれども、本当にいつも機嫌が良い。
最近、心のバランスを崩しがちな私は彼を見習いたい。
夢の影響も受けやすくて、本当にちょっとコントロールを欠いているけれども、
こういう時は変わる時なのだろう、と思う。
思い込み、決めつけ、古いポリシーのようなもの。
ポリシーに合わないことを受け入れて、許すと、一方的に我慢をさせられているようでものすごく反発を覚えるのだけれども、一番に大事にしたいことは何なの?という問いが頭をよぎって、大いに揺さぶられている。
揺さぶられて、私のある部分における幼さ、潔癖さが露呈し、瓦解し始めている。
許せないと思うことを許し、受け入れたくないと思うことを受け入れる。
何かの枠組みが大きく広がる感じがあるけれど、私は普段、自己完結した世界の中で生きているから、誰かと深く繋がったり、関わるということで変容を促されることがとても苦手。
人間としての新しい何かの勉強が始まっているのだろうなあ、と思う。
今年はちょっとジェットコースターのような感じだけれど、痛みを覚えながらも、大きく変わる年となるでしょう。
今日も良い1日でした。

3年〜5年で退場していく何かのおかげで、評価基準がすっかり変わる。
10代がイノベーションを起こすだろう。
それより上の世代で、頭を低くして飛ばないといけなかったタイプは、やっと本領を発揮できる。
これからの世界を牽引するのは、圧倒的に何かに秀でた、クリエイティブな人たち。
50代の人の中にはこの変化がきつい人は多いかもしれない。
40代も、これまでの社会に合わせすぎた人はきついかもしれない。
価値観の問題。
でも、崩壊は進む。
精神まで崩壊しないように、謙虚に柔軟に進んでまいりましょう。

去年を含めても、精神状態が一番悪い状態を過ごす。
今朝になって、ようやく脱した。
食欲がほぼゼロになって、少し何かを食べると胃が重たく感じられて。
人との連絡がとにかく億劫で。
外には出てはいけないのだけれども、そもそも出たくなくなり。
楽観視することが間違えているように思えて、とにかく悲観的になる。
そうすると自分の判断が正しいのか分からなくなり、何かを決めることが全て億劫になる。
お花が家に少なくなり、それでも買いに行く元気が出なくて。
お風呂に入ることだけが唯一の楽しみになっていた。
外は寒くて、雪が降っていて、暖房を付けっぱなしにしているから、家の空気が少し淀んで。
どんどん弱くなっていった。
そうすると自己嫌悪に陥ることが増えて、さらに人に会いたくなくなり、すっかり悪循環に陥ってしまう。
クリスマスから今までの時間の間に、愛情とか生きるエネルギーがマイナスにまで落ち込んでしまっていたのだろうと思う。
そういう時に何かを自分から与えようと無理をすると、限界を超えてしまう。
何かの許容を超えてしまっていた。
とりわけ雪による疎外感はすごいものがあるのだな、と気づく。
大して積もってもいないのだけれど、あの雪がしんしんと振り続ける様子を窓越しに眺めていると、自分と外や他者を繋いでいるものが全て幻影のように思えてしまった。
脱したきっかけは、ちょっと痩せた自分の美容に関心を取り戻したこと。
女性であるということは、励みになるのだな。
私は女性なのだわ、というところで自分への愛情や自尊心を一気に取り戻す。
自分に優しくしよう・・・という感じ。
甘やかす、たっぷり自分に愛情を与える、傷つけない、責め続けない、
自分にとって居心地の良い住まいに整え直す。
自分で自分を労われると、頭の中での人との適切な距離感を取り戻せる。
自尊心って大事なのだな。
どんな理由があろうと、許容できないことを許容してはダメなのだと学ぶ。
余裕がなくなり、マイナスになるまで追い詰められてしまうと全てが崩壊してしまう。
境界線を引いて、自分を優先し、自分の仕事や身の回りのことに時間をとる。
これが鉄則なのだと改めて学ぶ。
生き直しましょう。
今日も穏やかな良い1日に。
























