4. Dezember 2020
とても情に流されやすくて、人助けばかりしては利用されて、何も言わずに去る人がいる。
その人からメールの返事がない、とある人から私に連絡があった。
避けられるようになった方の人たちは、決まって、誤解なんだよ、と言う。
誤解しているよ、と。
これはもう100%の確率と言って良いのではないかな。
自分の非を改める言葉もなく、相手が誤解していると言う時点で、どこまでも他責にする人たちだなあ、と思う。
つまりは、そういうところ。
誤解ではないんだよ、あなたに誠実さがないことが透けて見えてしまっているんだよ、と思う。
私はその人ほどお人好しではないので、中には、私がその人を自分たちから離れるように仕向けたのではないかと考える人たちもいる。
私がいなければ、ずっとその人を利用できたのに、よくも邪魔してくれたな、と言うことかな、と思いながら、聞いている。
そういう人たちは、自分に都合の良いように人を動かすという構図で何事も理解するのだな、と思う。
人は、見たいように世界を見て、信じたいように物事を信じるものなのだと思う。
メガネのようなものが自分と世界や他者の間にあるのだとしたら、美しく見えて、良きことを信じられるメガネを調達したら良いのだと思うのだけれども、このメガネは経験ということになるのかな。
だとしたら、経験を選べますように。
選べない、どうしようもない境遇としての経験もあるけれども、
大人になっても、弱くて、可愛い、素敵なところのある自分というものに対する愛着を失うことがありませんように。
それが、世の中との断絶を生むような精神世界に傾倒しすぎることなく成立すると良いように思う。
最近の感染症のことがあるからか、人の心の状態にも「感染る」ということがあるということをイメージしやすくなった。
心の健康という表現は、適切なのだろう。
これからは、より一層、心の健康や集合意識というものに関心が集まるのだろう。
あっという間に今日も金曜日。
穏やかな良い1日に。
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