5. September 2020
ある方ときっとそれほど遠くない未来におけるお別れを覚悟しなければいけないな、と感じたことがあり、おそらく自分の深いところで悲しみを覚えたのだけれども、平静を装って、我慢していたら心が動かなくなってしまったので、髪を切りに行く。
店長さんは、ブラジル出身でイタリアで修行をしたらしい。
だから、わざわざオーストリアでは流通していないミラノのメーカーのシャンプーなどを使っているのね、と納得する。
不景気でイタリアでは商売にならないけれども、いつかイタリアに戻りたいんだと話していた。
イタリアが大好きらしい。
その店長さんは、今日は、人間と話すように鸚鵡や犬と話していた。
店長さんと並んでいたら娘さんに見えるような女性が奥様で、その女性が全くの無表情で笑ったところを見たところがないので、そのことがまた不思議な雰囲気を醸し出している。
今日もシャンプーなどの詰め合わせをお土産に頂いた。
今日カットしてくれたのは、前々回にカットしてくれたトップスタイリストの男性で、本当は今日は店長さんにお願いしていたのだけれども、なぜか「僕に切らしてください」と志願されたので、彼にお願いした。
彼は、カットにかける時間が長い。
そして、今日は、ディオールのFahrenheitかな、と思われるような香水をつけていて、その香りにちょっと酔ってしまった。
自宅に戻った今もその香りが自分の近くに漂っているような感じ。
カットが終わって、後ろのカットの具合などを見せてもらって、「はい、素晴らしいです。丁寧にカットしてくださって、どうもありがとう」と伝えたら、目元がニコッと笑っていた。
美容院を出て、一人になったら、また、胃で固まった悲しみが重たく感じられて、お花を買う。
こういう日は、お天気が良いと余計にしんどい。
そして、泣く。
受け取った想いとか、そういうものの大きさや重さが涙となるのでしょう。
自分が死ぬことには何の感慨もないのだけれども、
人が旅立つ時間が近づいていることを感じると、花道を飾ってあげたいと思ってしまう。
卒業式みたいなものなのかな。
私とその人の間柄で私にできることは、もう全てしたような気はするけれども。
少し前の思い出が、すでにキラキラしている。
途中で自分の意思でリタイアするのも悪くないけれど、やっぱり、人生を全うするというのはどんな人生であっても、大したことなんだといつも思う。
大きな変化が続くけれども、こういう時は、出るところに出るだけなのだと思って、
まるでプールのウォータースライダーのように流れていきましょう。
最後に、ポンと飛び出た先が次のステージだ。