1. September 2020
今朝は雨。
朝の青い時間は綺麗だな、と思う。
人がまだ寝ているような時間帯は、頭がしんと静まっているので、集中しやすい。
雨音も悪くない。
ここから年末に向けてのrunに出るような日。
9、10、11、12。
完走しましょう。
来年以降は、目に見えない世界や人権に重きが置かれる世界になると思う。
人間が天地無用とシールを貼った箱はひっくり返される。
共産主義の世界がいかに独裁的で、人間を階層社会に閉じ込め、多様性を生かすことなく殺し、信条を異にする人々の共生を許さない矮小な世界観を持つ世界であるかは、誰もがもう気づいていることだと思う。
今の世界は、共産主義と資本主義の組み合わせ技。
日本も例外ではない。
お天道様が見ているよ、という心を失った人がどれだけいるだろう。
どれだけの人が今、弱肉強食の地獄の沙汰を生きているだろうか。
ヒエラルキー志向により、持ちたくもないものを持つことに人生を費やし、
株価のように自分の価値が上下する相対的な社会階層を生き、
いじめたり、いじめられたりする加害と被害の両役を担うなかで、自尊心は、加害する立場にだけ身を置くことを志向するようになる。
目に見えないものに価値を置かないということは、生命を軽視すること、個を軽視することでもある。
あるのは、支配だけ。
自分を御することができないから、他者を支配する。
世界宗教を創始したような宗教家は人間を理解した哲学者だった。
あらゆる聖典には人間の真実への理解が示されている。
人間の心は御すること、整える必要がある。
通史する歴史書を一冊でも読めばわかること。
啓蒙の時代が再び訪れるのではないかと思う。
そうでなければ、第三次世界大戦に突入するのだろうけれど、そこまで人間は愚かなのかな、とここ数日の新聞を読みながら思う。
畏怖する知性に復権を促したい。
その知性こそが優しさや思いやりといった篤志、人間に備わる一番の美しさを育てる苗床だよ。
と思う9月の始まり。