15. August 2020
朝のランニング。
日本の国語教育で小説が教材として扱われなくなるらしい。
時代へのものすごい逆行ぶりに、ある意味、日本はすごいな、とベンチから転がり落ちそうになる。
あるいはそういうことを決める人たちが日本語の力を知らないのかな。
情操教育として小説を義務的に読ませることはしなくても良いと思うけれども、物語での日本語の用法には親しんでおいた良いと思う。
日本語の言語としての力は印象派的な創作活動で発揮される。
イメージを喚起する身体性の強い言語。
ドイツ語と日本語は全くの対極にある言語なのだけれども、この二つを行き来するとそのことがよくわかる。
例えば、松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」をドイツ語に訳すときは、ドイツ語の構造の関係で蛙が単数なのか複数なのかを明らかにする必要がある。
言語から映像に喚起する時の自由度は日本語の方が圧倒的に高い。
さらに、同訓異字という極めてクリエイティブな現象も言語構造に内包されている。
この言語構造の違いが、世界や他者との交わり方の違いを生む。
芸術、娯楽。
これらが次の社会を牽引する力になると思うのだけれども、日本語で育まれる印象派的な感性は希少価値の高いもの。
今の10代くらいの世代からは清廉な天才が多く輩出されると思う。
これからの未来に残したいもの・こと、変えたいもの・ことは、彼らが選びとれば良い。
私たちは彼らのビジョンを反映させた世界・社会を作ることに協力すれば良い。
間違えても、若い頃に自分が強いられた苦節を若い人にも味合わせようとする意地悪爺さん・意地悪婆さんにはならないように。
そして、我慢することを良いこととして説くことのないように。
彼らは、幸せに生きることが今の大人よりずっと得意。
ここから年末にかけての変化が厳しいだろうな、と思う。
追い風として使うか、翻弄されて転ぶか。
環境が斬新されるタイミングかな。
避けられない移動や変化を控えている人は、今は苦しいかもしれないけれども、この先の時代に居場所が用意されたと考えて良いと思う。
写真は、昨日のホイリゲ。
最近はどうにも食欲が旺盛で、今朝もランニング後に朝からエリンギのペペロンチーノを作った。
流石にお昼はお腹が空かなかったけれども、夕食には冷蔵庫にあったもので麻婆豆腐を。
放っておいたら、顔が丸くなりそう。
天才が娘さんに書いたドイツ語の手紙3通の翻刻と翻訳。
本当に日本の人が書いたドイツ語には思えない。
どうなっているのだろう。
これは、那須塩原市の方でも紹介できるかな。
そして、ちょっと面白い切り抜きの英字新聞の記事を見つける。
切り抜きのため、日付がないけれども、記事の情報からパウル・ヒンデミットの指揮でウィーン・フィルが初来日した時の記事だとわかる。
その時のある出来事について。
こんなことを研究している人はいないだろうけれども、突き止めようとして調査できることでもないので、偶然に感謝する。
興味のありそうな方がいたら、お知らせしましょう。