14. August 2020
才能は、自分の仕事のために使うこと。
人に使われて良いものではない。
才能は、その人がその人の人生を歩めるように与えられているもの。
それを他者が利用するというのは、生きていけなくするということに等しい。
もしも、その人からその人が歩むべき人生を取り上げたのなら、神様のような存在を冒涜したということ。
それだけの報いを受ける覚悟をしましょう。
才能に忠実な仕事は神様のような存在に捧げることができる。
それが、何世紀にもわたる社会への貢献になる。
19世紀に生きた作曲家が残した楽曲に今も私たちが救われているということが、その良い例ではないかな。
私の一つの少し特殊な能力として、その人の才能のありかがわかるということがある。
不思議なことに、多くの場合、その才能は傷とセットになっているのだけれども、つまりは、これまでの世の中では人の才能は必ずしも活かされてこなかったということなのだと思う。
わかりやすい形で、あるいは受け入れられやすい形で発揮できるタイプの才能を持っている人は、何の抵抗もなく特定の職業などの具体的な目標を掲げて、力を発揮できてきたかもしれないけれども、多くの人は、自分の名前のつかない、あるいは形にしにくい才能を均す苦痛のようなものを抱えながら、何かに合わせて生きてきたのではないかな。
それが、社会に生きる大人の作法なのだと自分に言い聞かせて。
自分に与えられた自分の素敵なところのはずであるものを否定されているような気持ちで、自信を失いながら。
才能を何かの形に昇華する希望を失っていることは、自己否定をしている状態に等しい。
でも、世界が再度創造されるにあたり、才能が登用されるようになる。
必然として、道が開かれやすくなる。
今は、そのためのスペースがどんどん生まれている時間だと思う。
人の価値は、才能を生かして、新しい価値や何かを創造し、社会を豊かにすることにある。
自分が優れていることを証明するために競争する社会ではなくなる。
今、世界で起きていることはまさに世界の終わりのような様相を呈しているけれども、戦争でなくとも、人を攻撃したり、人の足を引っ張っている暇があったら、自分を大事にして、才能の活かし方を工夫しましょう。
勝つための、あるいは誰かの上に立つために苦しい努力をしている人には虚しくなるような、単純に平和に才能が登用される社会が遅くとも3年後には控えている。
それが、人類の進化。
自分を幸せにすることを考えましょう。
それがあらゆる観点から正解です。