13. August 2020
展示と本の準備。
これを書いた人には敵わない。
信じられないくらいに完璧なドイツ語。
どういう勉強をすると、このレベルに達するのだろうか。
外国語として文法から学ぶと、このレベルには達せないはずなので、天才だったと思う。
書いてあることについては、ちょっと笑ってしまうのだけれども、語彙の格調が高くて、そのことにも驚く。
読んだテキストから語彙を増やしたのだと思う。
辞書のレベルをはるかに超えていて、その語学のあり方からも天才だったのだと思われる。
しかし、この人の書く日本語はとんでもない。
何回読んでも頭に入ってこない。
それをドイツ語に訳す私の身にもなってくれと、時を超えて、この天才に言いたい。
私のドイツ語が彼のレベルに達していない。
彼は日本語の方が不自由だったのではないかな。
ものすごく不器用に思考を組み立てていることがわかる。
思考の組み立て方、コミュニケーションのあり方などが日本語のそれと違うのだから、日本人であっても、日本の社会に馴染めなかったことがよくわかる。
お腹が空いてしょうがないな、と思い、夕方にポトフを作る。
小さな根セロリを買ってあったので、ニンジンやじゃがいも、玉ねぎと一緒にそれも入れる。
多めのオリーブオイルで炒めてから、スープにするのが好き。
明日の朝ごはんも作ってしまおうともっぱらごはんを炊く時に使っている小さなストウブにたっぷり作ったら、美味しくて、すべて夕食に食べてしまった。
ちょっとお値段の張る巨大なアボカドも買ってあったのだけれども、ちょうどよく熟れていたので、それとクリームチーズをトーストに載せたものも夕食に。
美味しい。
さつまいもをオーブンで焼いて、蜂蜜とチャービルでなんとかするレシピを見つけて、興味津々なので、明日はそれをランチに作る予定。
さつまいもは季節ではないけれども、どうなのだろう。
桃と生ハム。
グレープフルーツあるいはオレンジとルッコラ。
この辺りのサラダを一日置きに食べているけれども、夏はこういった食事が美味しいよね。
日本の方から茅乃舎のだしの詰め合わせをいただいたので、何を作ろうかとお料理読本に目を通しながら考えている。
奥様がきっと素敵な方なのだろうな。
感謝。
自分に与えられた人生を生きるために必要な色々も与えられているのだから、あらゆることに確信を持って、悠々と進みたい。
何かが満期になったら、舞台装置が変わるような具合ではあるのだけれど、満期にするためにすべきことが免除されるということがない。
でも、それが自分の人生のプログラム。
生きていく土地はこのあたり。
仕事をするスケールはこのくらい。
そのためにこのくらいにはできることを伸ばさないといけない。
そのためにあれやこれやの経験を積まないといけない。
心は、そのまま。
ある日、大事なことに気づいたら、もっとスケールは大きくなったりもする。
大変なこともそれだけ増える。
そのことに時々疲れを感じたりもするのだけれど、自分の芯が疲れるということはない。
人生に確信を得ているのだと思う。
私が親しくさせていただいている方は皆、何にも寄せていかない、道のない旅をしている。
話すとどれだけ年齢が離れていても、立場が違っていても、仕事が違っていても、同志だな、ということがわかる。
皆、圧倒的に一人。
完璧に自分自身であるということが、孫悟空の緊箍児のような課題として与えられている。
皆、それぞれに孤独。
それを知っているだけで、命は輝く。