17. Juli 2020
この間買ってきた大輪の薔薇。
綺麗な花には棘があるということわざを体現しているかのように、ものすごく棘が多くて、指に何箇所も小さな傷を作る。
他所様の家の問題に関係して、あれこれ考える。
どんなに外から幸せに見えても問題のない家庭はないと思うし、私も子供の頃は両親とそれなりに衝突することはあったけれども、現在の関係は良好だからか、このご家族の方の問題を理解していなかった。
他所様の家族の問題の調整はできないので、私に担える役割の範囲で生じた問題の幕を降ろす。
そして、このこととはもう関係しないと決める。
そしてもう一件、昨日は、仕事の関係のことで考えに考え抜いた末にメールを出す。
誰にも責任を押し付けずに、関係者との守秘義務を守りながら、望ましい状態を生み出すコミュニケーションとはどのようなものだろうと考えた。
それに対して長い返信が届き、基本的には私が考えていた最も望ましい状態に落ち着く。
この調整役を担うために、私自身の不満や怒りは奥に引っ込めたのだけれども、なんだかな。
我慢しているというのとも違うけれども、人って、なぜにこんなに簡単に自分の利益だけを追求したり、それによって争うことになるのだろうかと不思議に思う。
こういう時に必要なのは力づくだとか、怒りではなくて、理性と知性ではないのかな。
必ず、みんながそれぞれに「勝てる」道があると思うので、問題が生じると、私はすぐにそういう道を探す方向に舵を切るけれども、それは私の仕事だろうかと自問自答せざるを得ないときもある。
今朝は、ほぼ、ほぼ徹夜。
最近、目が二重どころか三重になっている時があるけれども、美容に宜しくない。
誰かに思い切りわがままを言って、甘えたい、と思いながら、日の出を眺める。
普段一人でいる時には自分の子供のような部分を野放しにすることで自分の機嫌を取っているけれども、人の面倒を見るようなことが続くと、自分自身も誰かに面倒を見てもらいたくなってしまうものなのだな、と思う。
甘えるなら猫のように素直に。
自分を言葉で表現できずに癇癪を起こして人を動かそうとする子供のように不機嫌を人にぶつけたり、妙な行動で人の心の負担になることは避けたい。
可愛くない大人は誰にとっても迷惑なだけなので、歳を重ねれば重ねるほど、猫から学びたい。
今日から今月末までに展示の仕事を追い上げる必要があるので、休んでいる暇はなくて、今日も午前中からミーティング。
今日も一日、私よ頑張れ。
穏やかな良い一日に。