19. Juni 2020

あまり眠れないままに朝を迎えて、コーヒーを淹れる。
フィルターで淹れたら、コーヒーの粉を少しこぼしてしまった。
最近、嘘や隠し事が露見するようなニュースをよく目にしていたけれど、周りの人はどう思うのかしら。
嘘をつかれたショックというものは不思議とない。
ただ、その人の嘘をどう扱ってあげれば良いのだろう、というようなところで拘泥する。
裸の王様に対する動揺みたいなものかな。
釈明しないなら、気づいていないふりをし続けるだろうと思うけれど、許すということにはならない。
言い訳できるレベルの嘘でもなくて、そこには明らかに甘えとか奢りとか、そういうものが見えるから、そこを許すわけにはいかない。
そのことと、ここに書くべきことではないのだろうけれども、昔から、少し困った気持ちを寄せられることが多くて、そのことでもどんよりすることがあり、あれこれと考えた夜だった。
結婚していようと、結婚していなかろうと、愛情にまつわる感情が十分に成熟していない人に必要なのは、愛着を覚える対象に近づくことではなくて、自分自身の中での気持ちの整理。
幼児期の愛着障害のようなものだろうと思うけれども、社会的にきちんとしていても、大人に見えても愛情にまつわる感情が十分に成熟していない人は多い。
だから、社会的な体裁のために結婚した相手と自分が本当に好きなタイプが違うとか、古今東西、文学のテーマになるようなことで苦しむ人が増える。
見栄や体裁のために外面を強化することに躍起になる人の空洞に潜むのは、自信のなさ、自己肯定感の低さ、愛されないことへの恐怖。
見栄や体裁のために結婚した相手では、この空洞に潜む自分が満たされないから、結婚生活を続けるうちに苦しくなってしまうのだろう。
男性なら結婚したら社会人として一人前とか、女性なら特定の人に愛されている私とか、外に対して胸を張るための結婚をしている人が相変わらず多いのかもしれない。
実家を出るために結婚するという人もいるかな。
でも、外面のための結婚をすると、愛情を他の人に向ける日が必ず来るのではないかな。
恋愛や結婚に限らず、認められたくてしていることと、自分が幸せを感じることとに差がある生き方をしていると、いつも自己評価が不安定で、その不安定を安定させるために社会においては支配的になったりする。
権力志向になったり、意外と社会で活躍したりするのよね。
でも、それが破綻すると、人生リセットのようなことが起きてしまう。
こういう生き方をしている人には、これからはより生きにくい世界になるように思う。
自分を向上させることに関心があって、楽しく生きている人たちが好きな人と繋がる時代になるだろうから。
比較の時代が終わるのよね。
嘘の自分を生きることをやめたら、人生はその人にとっての良き方向へ流れて行くのではないのかな。
それを祝福と呼びたい。
今回嘘をついた人の人生も不倫や浮気のような恋愛感情を寄せてきた人の人生も破綻に差し掛かっているのでしょう。
それは、彼らの問題なので、私が彼らの希望に応えてあげることはないけれども、いつか嘘のない自分を生きられると良いね、と思いつつ。
今日も穏やかな良い一日に。