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31. Mai 2020


昨日は東京に住む大学時代の友人とZoomで話す。

直前になって、あれ?ワインを飲むと話したのだったか、お茶にすると話したのだったか、忘れちゃったな、と思い、どちらも用意する。

会議じゃないのに、なんとなくノートも広げていた。

6時間ぐらい話したのかな。

日本が23時、こちらが16時に開始して、別れる頃にはあちらは朝になっていた。

見た目と中身のギャップの話や職場のいじめの話。

競争の話、結婚してからの孤独だとか、日本のグルメの話、デフレの話。

女性の私情を挟む解釈や、空気を読むコミュニケーションにおける疲弊、マウンティング。

自分がある人、得意なことがある人は、日本の組織では生きていけないという閉塞感。

敬意がなくて、恐れだけで生きていること。

見下されたら、その後のコミュニケーションでしんどい思いをするので、

見下されないようにすることだとか、そういうところでの競争など。

優しい人が見下されやすいこと。

男の人が弱音を吐けないで生きている辛さや、女の人が男尊女卑で苦しむ話。

大きな会社で働けば、男社会で生きる辛さや、

小さな会社で働けば、大きな仕事はできない辛さ、

主婦として生きれば、夫に頼るしかない辛さ。

終身で雇用されていても、自分が働いている業界がいつ斜陽を迎えるかわからないこと。

これは大学も同じ。

そういう日本の話を聞く。

これは、どこも同じかな。

生きるとはなんだろうなあ。

人間とは。

今朝方、悪夢にうなされて起きる。

話がなかなかに重かったからかも。

優しい人ほど犠牲になりやすい世界では、とにかく逃げた方が良いとしか言えない。

たとえが極端かもしれないけれど、虫も殺めることができないような心の持ち主が、人を殺めることをなんとも思っていない人たちと戦えるわけがない。

そういうバトルが目の前で繰り広げられても、見ていないふりをして、保身に努める世渡り上手がそのリンクを温めるように思う。

いじめは津波のようなものだと思う。

巻き込まれれば死に至るものだと思い、逃げた方が良いように思う。

いじめられて良い人間なんていないのに、人間の悪意が津波の様相を呈することがある。

あの世があるかどうかは別として、

最後の審判のようなことがあるかどうかは別として、

カルマがあるかどうかは別として、

因果応報があるかどうかは別として。

神様がいるかどうかも別として。

人の魂を悪意を持って深く傷つけた人間には、それにふさわしい出来事が用意されているように思う。

それを見て見ぬ振りをする人間には、与えられない何かがあるように思う。

奪った分だけ、失う。

与えることのできた何かを自分のところでせき止めた分だけ、与えられない。

人の世は理不尽なことだらけだけれど、どこかでつじつまが合うようにできているという実感がある。

いつか一軒家に住めたら、疲れた仲間がしばらく休める部屋を用意したいと思っている。

人生には休む日があって良いのだと思うよ。

日常から少し距離を置いて、安全に休める部屋を用意しておきたい。

勝手に暮らしてもらえる離れのような部屋。

自分の心の中にも、人にとって安全だと感じられるスペースを持っていたいと思っている。

人には、傷つけられずに理解されたり、期待されずに受け入れられたり、信じてもらえて応援されることで、生まれてくる活力のようなものがある。

その活力がその人を明日も生かしてゆく。

この世は幻。

長くて100年の命。

美しく生きようと思えば、そう生きられる。

今日も穏やかな良い一日に。

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