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Freude


とても嬉しい知らせをもらって、号泣。

数年前にドイツのヒルデスハイム大学の歴史学で講義をしたのだけれど、そこで知り合った学生さんのなかに、とんでもなく優秀な学生さんがいたのでした。

日本が好きだという理由だけで、お金をためて、東京にも京都にも寄らず、なぜか北海道にバックパッカーとして旅に出たという男の子。

日本人の私による東アジアとヨーロッパの関係史に関する講義を受けてみたいということで、特に単位は必要なかったのに、授業に出席して、とにかく最初の授業から強烈な印象を残したのでした。

なんでも質問して、と言ったら、自由なのだけれども、遠くの点と点を結びつける力が圧倒的な教養に支えられていることがわかる質問ばかりでてきて。

その質問が生み出される頭の中の世界は、素晴らしい研究者になれることが約束されている人の頭の中の世界でした。

一コマ目が終わって、休憩時間に話しにきたので、研究者になるの?と尋ねると、

経済的な理由で進学できない、教職を取り、学校の歴史の先生になるつもりだと話していて。

実際、土曜日の午前中の授業は、バイトと弟の面倒を見るために出られなかったくらいで。

日本語も学べる環境ではなく、大学図書館には日本に関する本もないのに、素晴らしい本ばかりを自分のバイト代で買って読んでいて。

全講義が終わり、授業のお礼を言いにきてくれた時に、教室で少し話したのだけれども、

どうもこれまで学校での良い思い出がなくて、ちょっと世の中を斜めに見ているようなところがあって。

持っている力の出力レベルを相手に合わせて下げている感じがあり、それで変な評価をもらって、その評価を自己評価にして諦めている感じが想像できて。

論文は書かなくて良かったのだけれど、書いてみたいから提出しても良いか、というので、良いよ、読むよ、楽しみにしている、と言うと、完璧なドイツ語で、素晴らしい論文を提出してきたのでした。

彼のドイツ語は、今の70代より上ぐらいの世代のラテン語やギリシャ語の素養のある、美文を書ける人のドイツ語で、それはもうひっくり返るくらいにすばらしくて。

素晴らしい論文を読ませてくれてありがとう、ドイツ語も勉強させてもらいました、と彼にメールを出し、あまりに素晴らしかったので、私に講義の依頼をしてくれた歴史学の教授にも機会があったら、その子に少し注目してみてほしいとお願いしたのでした。

コースが違うから、彼はその教授とは接点がなかったし、理由がなければ話にも来ないだろうけれども、本当に素晴らしい学生さんだから、と。

そして、その学生さんには、もし可能であれば、その教授のもとで学士論文を書くと良いよ、とても厳しいけれど、評価はフェアな人だから、と伝えて。

そうしたら、その教授のもとで素晴らしい学士論文を書き上げたと言う知らせが、昨日の夜、その教授から届いたのでした。

彼は経済的に厳しいと聞いたけれど、良い研究ができるはずだから、彼のための奨学金を探して、申請すると決めたとのこと。

そのメールをもらって、なぜか泣く。

まだ、奨学金が決まったわけではないし、研究者になるのかわからないけれども、あの教授にそこまで動いてもらえたことは、すごく良い経験だと思って。

この経験があれば、学校の先生としてもこれからとても良い時間が過ごせるだろうと思う。

何より自分の力や知識を全て使って、書けた論文だったんだろうな、と思い、それを受け止めてくれた教授もやはりさすがだな、と嬉しくなった。

私は彼のお母さんかしら、と自分でも自分に引くけれども、馬鹿みたいに泣く。

弟の結婚式でも馬鹿みたいに泣いたのだけれども、こういう時の涙はなんなのだろうか。

心の経験に感動しているのかしら。

本当になんなのかしら。

泣きながら、その学生さんにメール。

彼の人生に幸あれ。

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