Seven Sisters Cliffs
先々週のイギリスでのブログをアップしていなかったので、アップしました。
グラストンベリーからブリストル、ブリストルからロンドン、ロンドンからイーストボーンに移動して、
翌日Seven Sisters Cliffsに向かったのだけれども、ここも非常に独特な場所でした。
11月に行くべき場所ではないかな。
雨で道が非常にぬかるんでいて、海岸に出るまでの道の状態が非常に悪く、
一緒に向かったイギリスの友人は滑って転んでいました。
途中、その道で出会った人は、特殊な長靴を履いたプロのカメラマンの人だけで、君たちには難しいよ、と言われたぐらい。
それがここ。
海に近づくにつれて、どんどん足元が悪くなる。
この季節のイギリスは天気が非常に変わりやすいから、道中、そのことにも気を配りながら安全第一で進む。
風の向きから推測するに、雨雲は私たちにとっては後ろから追うように来ていて、歩いている間は、見事に雨には降られずにずっと歩くことができたのだけれども。
自然は友達ともいうし、実際、自然の中を歩くことが好きだけれども、
地球において人間という個体がいかに弱い生き物であるかを知ることにもなる。
そういう場所にいて、雨雲を注視したり、風の流れを読んだりしながら歩いていると、
時間の流れも鋭く感じられるのだけれども、そんな場所でふと思う人間の生というもの。
私たちが人生と呼んでいるものって、結局、人間のコミュニティで起きるドラマなのよね。
シェイクスピアの戯曲ですでに描かれていること。
人間のコミュニティで起きるドラマから学ぶことはあるけれども、でも、そこで学ぶことにあまり意味はないのではないかと思うのが正直なところです。
命とだけ向き合うならば、もっと本当に単純で、人間がいつの世も、地球のどの場所でも神様として色々な姿で想像しているものも、結局のところは万物の摂理なのだということがよくわかる。
社会のあれこれは、この万物の摂理に則っていないことが多いので、宗教が生まれたりする。
万物の摂理は、多くの人間には、知ることと信じることの間でしか捉えられない何かだから。
ちなみにホーキング博士は、知ることに限りなく近かった稀有な人間だったのだろうと思います。
アインシュタインもそうだったのかも。
しかし、「全て」を解明するには人間の個体の生存年数が足りない。
寿命というのもうまくできているなあ、と思います。
だからこそ、人間には、先人の知恵を継承していくことが大事なのだけれども。
海岸に出るとこんな感じ。
これは、少し高台から見たところ。
人、発見。
この辺りはとても歩きやすかった。
でも、崖のそばには近寄るべからず。
人間社会における正解は、平和を維持することだけ。
それができないのだから、人間が、どれだけ万物の摂理から離れやすい生物であるかがわかるよね。
人間は、社会でしか生きられない生き物なのだけれども、個体としての自分の存在を感じる感覚が少なければ、少ないほど万物の摂理からは離れていく。
社会の腐敗した部分とか古い体制にはアップデートの地殻変動が起きるので、価値観も大きく変わるだろうし、集団性の強いコミュニティの中でしか生きられない人、依存的な傾向の強い人には、ここからの世界を生きるのはちょっと大変になるのではないかな、と思います。
誰かや世の中の何かに合わせて、自分の安定をはかることはできなくなるから、自分でバランスを見極めて、しなやかに変容していくのが良いのではないかな。
命のことだけを見つめて、健康でいられる場合の自分の残り時間を思えば、答えは自ずと出るもの。
2020年。
楽しみ。