Limit the unlimited in your own style
Tom Fordの眼鏡。
Excelsiorのアコーディオン。
ドナルド・キーンさんのご冥福をお祈りいたします。
7年前にある仕事でお目にかかるお話を一度頂いたのだけれども、残念ながらそれは叶わなかった。
今月の21日に老人ホームを訪れる機会があって、私の前で食事をとられていた方がキーンさんにしか見えなくて、不思議に思っていた。
大きな人がまた一人、地球を去られたな。
時間は知覚できないけれど、肉体の期限というものがあるから、
私というのは、どうにもこうにも有限なのだ。
意識が拡大しようが、瞬時に大きなことを理解しようが、それは変わらない。
未来のことといわず、本当は誰でも、自分の全体のことは把握しているのだ。
でも、一つずつやっていく必要があるから、開示されていないだけ。
脳の働きなのか、何なのかはわからないけれども、
私たちにできることは、自分の物語を信じて、点を打っていくことだけ。
とかくこの世は具体的である必要がある。
ある言語を使いたければ、学ばなければいけないし、
ある場所に住みたければ、条件を埋める必要がある。
意識が現実を作るけれども、結局は点を打つという実行力でしか、物語を生きることはできない。
今、意識が大きく揺らいでいる人は多いのだろうけれども、
変容を楽しむ先に用事がある人は、
何をどうするかという具体的な次の一手を考えることに迫られているだろう。
肉体の期限や環境との接点の問題があるからね。
開示されたことを受けて、十分に思考したなら、実行するしかない。
なんてことを書くと、不思議な世界の話みたいだけれども、
私は、もう、時間・自分を無駄に使うことはできないなあ、という話。