snowing
ウィーンは連日、雪、雨が降っています。
大怪我をした上、このひと月で風邪を二回引いて、なんだかすごいなあ、と思いながら過ごしています。
元気だと機械のように動き回る性分なので、これは若干忍耐が必要とされる状況です。
でも、悪くないのです。
必要な時間だった。
横になってばかりいるので、思考がすっかりグダグダだけれども。
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米津玄師さんを知ってからというもの、毎日、聴いているけれど、破壊力を内包できるだけの知性と体力を意識的に身につけている方なのだろうなあ、というのが今の一番の印象です。
自分をわかりやすく提供している感じ。
その方法が音楽だったのだろうな。
彼みたいな人を眺めていると楽になるのは、
きっと、仕方なく受け入れている社会のいろいろから自由になれるから。
優れた芸術は、はっきりしたメッセージを前面に打ち出さずとも、社会を相対化するところがありますね。
偏りを「正す」といった精神論とは自由なところで、勝手にチューニングしてしまうのだと思う。
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安楽死のこと。
幡野広志さんに寄せられている「逃げ」云々のこと。
ご本人も仰っていたけれど、自分が安楽死を選ばずに苦しんで亡くなる選択をすれば良いだけで、
安楽死を選択した人に、逃げという言葉をぶつける人というのはなんだろう。
自分の正しさを信じすぎていると、その暴力性に気づけないのかもしれません。
安楽死に限らず、これに似たことはとても多い。
「社会」とか、何かのマスを代表したかのように自分の意見を述べる人は、
意見の表明の仕方がそもそも適切でないことに気づいていないし、
個人の問題に自分の意見を押し付ける人は、無責任な干渉であるということがわからないみたい。
ひとそれぞれでいいんだよ。
自分が理想とする、もしくは完璧だと思う「型」に近づく努力をすることは、
それはそれで結構だと思うのだけれど、
信仰と同じで、そのような生き方や「型」を他者に押し付けるのは、ただの干渉です。
干渉を拒否されて怒るのは、自分の信じていることや価値観を否定されたことへの怒りだと思うのだけど、
怒られた方は、そこに何の善意を見い出せば良いというのでしょう。
私は、こんな人が身近に現れたら、即刻距離を置いてしまう。
色んなことの見方が同じでないと、その都度摩擦が生じそうだったり、
善意を断るたびにお説教をされたり、呪いの言葉をかけられることには辟易してしまう。
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色んなことが始まりますね。
私は、人生の新しい章に入る感じです。
自分自身の成長の度合いや進化だけを見つめてまいりましょう。