survival
- Nana Miyata
- 2018年12月27日
- 読了時間: 3分
好き嫌いがはっきりしている人は、はっきりしているというその事実を侮らない方がいい。
好き嫌いがはっきりしているということは、生き方が決まっている。
何を選んでもやっていけるような感じではないから、
地図や自分の取扱説明書みたいなものが自分のなかに埋まっている。
それを取り出して、自分で読む力も与えられているけれど、
そこから大きくずれては生きていけないから、不自由なのだ、とても。
何かに駆り立てられるように特異なことに関心や情熱を傾けていて、
自分でもそのエネルギーの取り扱い方がわからない人には、この不自由さがわかるだろう。
自分の中に得体の知れない、輪郭を持たない穴があいている。
彼らはそのブラックホールの奴隷だ。
社会に自分の関心や力を収められる箱がなければ、
居場所を見つけられずに自己嫌悪に陥ることもあるだろう。
好き嫌いには理由がないし、なぜ、好き嫌いがはっきりしているのかということも説明できない。
それしかできない、このようにしかできないという生き方は、むしろ自由に生きていると思われやすい。
葛藤すら、好き好んで抱えているだけだとか、選り好みしているだけだとか、意志の問題として扱われる。
こういう人たちや、アスペルガーやADHDを属性として持っている人たちが苦しむのは、ここだ。
できないのではなくて、やりたくないだけでしょう、と。
苦しんでいる彼らのなかには、自分のこと、自分と社会の間の摩擦を理解するために、
宗教、哲学、精神医学、心理学、言語学、教育学、社会学などを学んだり、
人間のことについて考えて、生きる道を探っている人が多い。
それが、その人の仕事の一つになったりする場合もある。
それほど切実だ。
個性が強くて、いろんなことをはっきりさせて、いろんなものを表現して、
自由に生きているように見えていた人が、突然自死で亡くなったりするけれど、全く驚かない。
とても狭いところを進んでいただろうから。
体を壊すような何かに依存していたとしても、全く驚かない。
ずっと戦い続けて疲れきって、手を伸ばした安息なのだろうから。
はっきりしている自分を生きるということは、本人にとっては結構しんどいことだ。
でも、摩擦を少なくするために、ごまかそうとすることは、やめた方がいい。
自分の本質と関わっていることだから。
それよりは、観念して、自分の地図を取り出して、不自由で狭い道を進み、
そんな風に歩む自分を尊重してくれる仲間を得ていく方がいい。
そして、他の人にとってどんなに良い人でも、あなたが違うと感じた人とは別れた方がいい。
残念だけれど、多くの場合、別れた後に違うと感じた理由が明らかになる。
自分の生まれた国や言語ではブラックホールに取り組めないなら、世界に出て別の言語に求める。
世界のどこにも自分の関心や力を入れる箱が見つかりそういないなら、自分で創る。
その一つ一つの段階は個人的なもので、
誰とも共有できなくて、しんどくて投げ出したくなることもあるだろうけれども、
根気強く英気を養って、駒を次に進めるのだ。
自分を究めよう。





















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