Ästhetik
年齢や性別、国籍や職業、肩書きに関係なく、
他者に敬意を払える誠実な人とのみ関係していくことを決める。
持ち物も洋服も食器も家具も家も住む土地も、すべて自分に調和する好きなもの、こと、場所だけを選んで、ずっと大切にしている。
ひとも同じ。
好きな人のことは、ずっと大切にする。
これが私の生き方。
なぜ、これまで自分の生き方と働き方を分けて考えていたのだろう。
それが大きな間違いだったように思う。
これからは、ずっと大切にはできそうにないことをする人とは仕事においても関係しないことにする。
私の美意識のようなものはかなりはっきりしていて、本来、窓口がとんでもなく狭い。
それでは社会で生きていけないと思ったのかな。
人を利用するという考えはない。
自分も利用されたくはない。
自分が尊敬する人の信用を失いたくはない。
そして、いろいろなことを教わる立場にあったとしても、せめて人としては対等であるという自負を失いたくはない。
媚びることができない。
媚びるということは、自分に都合の良い関係に持ち込めるように相手を煽てて、馬鹿にすることだと思っている。
それもまた、利用するということに他ならない。
心を伴わない上手さというものは、何においても品がないものなのだと思っている。
品がないということが、美意識に反する。
こんな私を面倒だと思う人もいるだろうから、お互い様なのでしょう。
でも、あなたのことはなんとも思っていないし、むしろ嫌いだけれども、
あなたのこの部分だけは利用させてもらいたいので、ぜひ、繋がりましょう、というのは、とても気持ちの悪いことではないかと思う。
この気持ちの悪さは、あることでしか喩えられないので、書くこともできないけれど。
それでも、この程度までこの気持ちの悪さを言語化できたことはよかったのかもしれない。
生き方の延長としての働き方について考える。
なぜ分けて考えていたのかな、と本当に不思議に思うけれども。
それに、自分の快・不快の感覚を否定して、合わないことを無理をしてでも受け入れなければいけないという考えは、どこから来ていたのかしら。
この呪いのような考えを捨てて、自分の美意識と調和した働き方や関係性を構築すれば良いのではないか、と自分で自分に提案する。