11. Mai 2020 (2)
ドイツの軍事史の雑誌に紹介されたキューネの本の書評を読み返すたび、ちょっと泣ける。
ここまで私の仕事を理解してくれているのはすごいな。
何をどれだけしたかということがわかるというのは、きっと同じぐらいの仕事ができる人だと思う。
こういうと偉そうだけれども、同じぐらいのところにいる人をあまり知らない。
身近なところでは、辞書みたいな本を書くパンツァー先生とゲーラー先生だけ。
母国語でない言語でこの仕事をすることの意味をわかってくれているのもこの二人。
他には、会ったこともないのに、本が出るたびに読んでくれて、書評を書いてくれるスイスのヴィピッヒ先生ぐらいかな。
ひとに褒められることも、否定されることも正直なところどうでも良い。
申し訳ないけれども、あまり大事に考えていない。
私の本質や成長には関係がないから。
でも、理解してくれると泣けるほどにありがたい。
理解が基礎になっている批判も泣けるほどに嬉しい。
本は残る。
たとえ、私が明日死んだとしても、本が残れば、仕事は残る。
何かを変えること、実現することに時間やエネルギーを使うことは苦にならないけれども、
好きでもない人たちとごはんを食べることだとか、会議だとか、同じことを繰り返すことが苦手。
死ぬときに無駄だったと思うだろうことをすることが好きではない。
私の生きている間の仕事は、ただ、自分の才能を伸ばすこと、使うこと。
私が拾わなければ、きっと忘れ去られてしまう人の記録を残すこと。
それと、私には見えているけれども、きっと他の人には見えていない糸のようなものを繋いで、世の中に新しいことを実現させること。
私にはほとんど悩みがないし(不快だと感じることはたくさんあるけれど)、あまり執着のようなものがない。
人間であることが煩わしいくらいには、軽さや静かさを必要としている。
自分でも鳥みたいだと思うけれども、こういう自分にも優しい心の広い人、素敵な音楽を聴かせてくれる人が好きなのは、宿り木のように思えるからかもしれない。
スズランをもらう。
仕事を手伝ったら、お花でとお願いしているからだけれども、今日、お花屋さんから連れて帰ってきた芍薬ととても相性が良い。
どちらも素敵です。
今日も良い一日でした。