31. März 2020 (2)
明日から4月。
私にとって日本に生まれたこと、日本人であることはどういう意味を持つのだろうなあ、と考えている。
ドイツで日本学を専攻した程度には、日本は私には遠く不思議な世界。
こちらに暮らしていても、日本人だからという理由だけで友人になることも、親しくなることもない。
避けているわけではない。
ただ、例えば、親しみを込めたものであっても、ヨーロッパの文化圏の男性に熱烈にハグされたり、手にキスされたり、アジアの文化圏の女性に腕を絡められたり、組まれたりすることが苦手であるほどには、「日本人だから」という理由だけで、距離を縮められたり、何かの文化的、社会的パッケージを受け入れるように促されることが苦手。
日本人であること、女性であること、年齢、職業、容姿、服装の好みなどの属性への他者からの判断と、自分の中でのそれらの属性の優先順位のようなものや、価値の優先順位のずれ。
そのずれを自分の優先順位を並び替えることで適応してきた疲れのようなもの。
これは、日本とヨーロッパのどちらでも抱えてきたもの。
自分は、どちらにも、どこにも属していない、根っこがないという感覚。
それは、ドイツに住んでも、イギリスに住んでも、オーストリアに住んでも変わらない。
根っこがどこにもないということが、私のアイデンティティの特徴。
何かの理由で、どこかに定住することになったとしても、国籍とも関係なく、それは変わらないだろうと思う。
4月は、この疲れのようなものを終わりにしようと思う。
変わっていると言われるのは、褒め言葉ではなくて、突き放される言葉のように感じてきたけれども、素敵な勲章のように考えたい。
自分にあるブラックホールを豊かであると捉えたい。
生来の気質や極めて偏った能力を宝物だと思いたい。
仕事とプライベートでは全く別の人格なのだけれども、そのいずれをも許容してくれる人と近い距離にいたい。
自分が自分の居場所になれば、どこにでも行ける、どこでも暮らしてゆける。
昨日、運動不足を解消すべく、スクワットをしたら、今日はひどい筋肉痛。。。
中学生の頃、バレーボール部で部員をおんぶして階段を駆け上がるということをしていたけれど、あれはなんだったのかな(全国大会でも目指すかのように過酷な筋トレをしていた)。
ランニングをしたい。
早朝なら良いかな。