13. Mai 2021

いつかのどこか
来年の4月までの私のスケジュールがすごいことになっていて、現実逃避しそうになるけれども、もちろん、しない。
こんな日々だけれども、時々、美味しいものを食べに行ったりしたいなあ。
いつも楽しそうにしているようにみられるみたいだけれど、私にも波はあって、悲観的になったり、そこから脱したりの繰り返し。
でも、おおよそのことは、まあ、いっか、という感じ。
悲観的になると、うまくいくものもいかなくなるということをよく学んだので、
自分に呪いをかけないようにしたい。
いつか、誰かにかけられた呪いなのかもしれないけれど、いつでもリセットボタンを押す。
そして、ここからは根拠のない希望的観測で物事にあたるのだ、と決める。
時々、何が起きたのかわからないこととか、わからない考え方とかあるけれども、
わからないことは、自分に消化酵素がないのだと思って、考えることをやめる。
考えても咀嚼できないことは、自分の中に留めておいても仕方がない。
違和感があるばかりで、栄養にもならない。
なぜか色々なことの責任者になっているけれども、ハンサムでエレガントな自分でいることを決める。
男でも、女でもあるような自分。
悲観的になる方が楽な時は、見る景色を変えるために、背筋を伸ばして、リセットボタンを押して、心を新しくする。
失敗はしてもいい。
大事なことは、そこから何度でも自分の理想に戻ること。
どんな時でも、自分に恥ずかしくない自分であることを選ぶこと。
自分に起きる出来事は、全て素晴らしい。
自分にしかできないようなことは、大抵、すっかり凹むような出来事で示されたりもするから。
人生に起きる出来事を宝物にするか、
僻むか、いじけるか、呪うか、誰かに八つ当たりするか、
どちらを選ぶかで人生が大きく変わる。
されて嫌だったこと、起きて悲しかったこと、
そこに怒りや恨みや呪いを持ち続ければ、起きた出来事の中にあった宝物が燃えて灰になるばかり。
人生で起きることには素直でいること。
真っ直ぐに受け止めて、その時は感謝することが難しいようなことも、あとで振り返ったら、良きことに繋がっていたりもするのだから、起きる出来事は全て良いことなのだと思って、執着しない。
人生は、自分の選択によって、自信と誇りを磨くのみ。
今日も良い1日でした。